サッカーにまったく興味が持てないあたくしなので、Wカップ決勝が行われる7月中旬までは、周りのサッカー好きなノンケたちの話をぼんやり聞き流しながら、ペリエかジャスミン茶を飲むことになるのでしょう。
サッカーというスポーツそのものに面白さを見いだせないこともありますが、「出場選手にインパクトが薄い」というのも理由の一つであることは否めません。なんだかんだ言っても、やはり中田英寿は、(毀誉褒貶かまびすしいことがスターの条件、という意味も含め)スーパースターであったなあと思います。
「中田英寿さんはゲイなのか」
さまざまなオフィスで、さまざまな居酒屋で、さまざまなお家飲みの席で、人々が飽きるほど繰り返してきた議題のひとつがこれでしょう。なんでも一説によると、バカ男バカ女の間で飽きるほど繰り返される「なんか面白いこと、な~い?」という問いかけ以上の頻度だとか。うそです。
正直言いましてあたくしは、「中田さんの恋愛対象、性愛対象は、異性なのか同性なのか、それとも両性なのか」ということには、さしたる興味はありません。どうせこの先も個人的に知り合いになることもない人が誰と寝ようと、あたくしには全く関係のないことですから……。
が、「中田英寿さんはオカマなのか」という問いには、どうにもこうにも持論を展開する誘惑に抵抗することができません。ええ、こういったところで、あたくしも「毀誉褒貶」の輪の中に加わってしまうのです。さすがスーパースター、ヒデ美(あたしくとあたくしの周りのゲイたちは、ヒデトシさんをこう呼んでいます)。だって奥様、男性月刊誌『ゲーテ』の2010年10月号の表紙、覚えていらっしゃいます?
あたくしが知る限り、「仕事に生きる男の人生は楽しい」というテーマを掲げた『ゲーテ』の表紙は、ヒデ美がヌードを披露するまで、「スーツ姿の50代オトコ:カジュアルスタイルのオトコ」が「8:2」だったはずです。この雑誌において、「表紙ヌード」の先鞭をつけたのは、ヒデ美なのです。
で、結論から申しましょう。中田英寿さんは、仮にノンケであったとしても、オカマです。
●『美しい男』という特集であれば、そして『美しい男』という大文字が自分を飾るようにレイアウトされるのであれば、先陣をきって脱ぐ……それがヒデ美。
●脱ぐとなったら、商品としてのカラダのブラッシュアップを、やりすぎてグロテスク一歩手前のところまで進めてしまう……それがヒデ美。
あたくしは常々申しておりますが、「オカマ」というのは、セクシュアリティの問題ではなく、センスの問題、メンタリティの問題です。で、ヒデ美のこんなメンタリティは、よほど年季の入ったオカマでも、そうそう持てるものではないのです。
この号が好評だったのか、その後『ゲーテ』は、2012年3月号で同じくサッカープレイヤー川島永嗣、2012年6月号で郷ひろみ、2013年6月号でEXILEのHIROが表紙で裸を披露していますが、同じサッカー選手の川島は言うまでもなく、郷ひろみやHIROとくらべても、ヒデ美の裸のほうがはるかに「見られること、値踏みされることを意識するあまり、『やりすぎ』のライン設定が異常なまでに高くなった」ビジュアルなのにも瞠目せざるを得ません。
ヒデ美……。「ノンケのナルシシズム」ではなく、明らかに「オカマのナルシシズム」を持つヒデ美……。なかなかどてらいオンナです。
ちなみに日本は、「ノンケが『ダサい』ということが、悪とか恥である」とされている、唯一の先進国であるとあたくしは確信しています(「先進国」という表現を使ったのは、中進国や途上国のファッション事情をあたくしが知らないから)。「ファッションに気を遣うオトコってのはゲイ」という風潮は、日本以外の国々において、なおも強力な「常識」です。イタリアでも、実は「オンナ好きのファッショニスタはごく一部」というのが、あたくしの実感です。
で、欧米で、芸能人以外のノンケがオシャレになるためのもっともポピュラーな方法は、「ファッションヴィクティムのパワーウーマンが、そのノンケを着せ替え人形にする」ことだったりします。
明らかに「妻・ヴィクトリアのセンスのみで外ヅラを作られている」のがわかってしまう、デイヴィッド・ベッカムや、「アナ・ウィンターのセンスのみで……」(以下同文)、テニスのロジャー・フェデラーなどがいい例でしょう。
そんなスーパースターアスリートすら到達していない、「自分の意志のみで、ファッションの『やりすぎ』のライン設定までも異常に高くなった」(これは世界的に見ても、ファッションヴィクティムのオカマたちの共通様式です)ヒデ美を超える逸材は出てくるのでしょうか。そうすればあたくしも、もう一度サッカー日本代表の試合に手に汗握れるはずなのですが……。