「おかまバーはありますか」
ありません。
ここのところ、ビデオ屋で働いていると、二丁目にやってきたノンケ(異性愛者)の 人たちに、「この辺におかまバーはありますか?」と聞かれることが、一時に比べて 増えているような気がします。
テレビでの、はるな愛さんやマツコ・デラックスさんの活躍のせいかしら、と思って いたら、オーラちゃんが、「どうやらそうみたい。『おかまバーって何ですか?』っ て聞き返したら、その二人の名前を挙げて、ああいう人がやっている店のことだ、っ て言うもの」と、夜中の状況を教えてくれました。
愛さんとマツコさんでは分類が違うのですが、テレビを見ている人たちにとっては、 「おかま」と一括りにされてしまうようです。けれど、「そういう人」がやっている店を私たちはよく知りません。
ちなみに、「それはニューハーフの人たちの店ですか?」と聞くと、「違う」と答え ます。
「じゃあ、ゲイバーですか?」と聞くと、首をかしげます。そして、「おかまバーは おかまバーだ」と釈然としない感じで答えるのです。
釈然としないのはコッチだわ、おかまおかま、って侮蔑用語を連発して、なんとも思わないのかしら。
とは思いますが、その感覚を伝えるには時間が必要です。ありません。というのもな んなので、「知りません、わかりません」と答えて帰ってもらいます。
あとで、オーラちゃんと二人で、彼らが描いている「おかまバー」を想像してみま す。
愛ちゃんとマツコさんに共通しているのは、見た目が「女」で「芸能人」というとこ ろでしょうか。
「体を変えているか変えていないかはどちらでもよくて、とにかく女装をしていて、 人を笑わせる芸を持っているようなママがいる店のことかしら」
という感じに落ち着きました(その「笑い」も限定されそうですが・・)。
二丁目には300軒のゲイバーがあると言われているので、もしかすると私たちが知ら ないだけで、そういう「おかまバー」が存在するかもしれません。
じっさい、かつてテレビに出ていた「おかま」タレントの人が出した店もある、と聞 いています。
ただ、オネエ言葉はしゃべるかもしれませんが、女装をしていない同性愛者の人が やっている店が大半かと思われ、二丁目で働いている私たちも、「そういうもんだ」 とその事実に馴染んでいるため、「おかまバー」と問われてもピンと来ないだけかも しれません。
「でも、今、求められているよね、『おかまバー』」とオーラちゃんがしみじみ言う ので、私は、「わかった。じゃあ、あたしがやるわ、それ。そこのラーメン屋の二階 にオープンさせる。それで、あのちょうど四枚ある窓ガラスに大きく『おかま バー』って入れるわ(足りてない)。そうしたら通りからもバッチリ見えて、オーラ ちゃんが尋ねられても、『あそこです』って、すぐ答えられるでしょ」と調子に乗り
ます。
「でも茶屋ちゃん、毎日化粧して、いつも客を笑わせなくちゃいけないんだよ」と オーラちゃんは苦言を呈します。「そ、そうね・・。へんてこな日本髪の大きなかつ らをかぶって変顔したり毒舌吐いたりして笑わせて、最終的には母のように(!)包 み込まなければいけないのよね。でもそれだけ努力して勤めていても、客からは一貫 して『自分よりは憐れ』と見下されているんだわ・・」と、だんだん気分が落ちてい
きます。
・・それは行き過ぎた妄想ですが(「おかまバー」・・ちょっと面白そうですが)、 そうした類のアミューズメントが求められる店をやる才能と気力は、けっきょく私に はなさそうです。
私が飲みに行くお店は、そういう「おかまバー」ではないゲイバーです。マスターや ママたち(誰も女装はしていません。マスターかママかは私の気分で、女性っぽいからママ、というわけでもありません)の才覚で、どのお店も楽しくてなごやかな雰囲気です。そこに集う人たちにとってゲイバーは、テレビで見る芸能の世界ではなくて、仕事帰りに一息つけるような日常の世界です。慣れ親しんだ人たちと好きな会話
を楽しんだり、人生相談が始まったり、新しい出会いがあったり・・、ですから、 「おかまバーはありますか?」と観光しにきた異性愛者の人の質問には、二丁目に求めるものが、その日常と違いすぎて面食らってしまうのかもしれません。
先日は、いつも行く店で、隣り合わせになった初対面の女の子(28歳)としばらく会 話を楽しんでいたら、途中で彼女は思い余ったように息をついて、「ああー、なんか、やっとゲイの人とちゃんとしゃべれた」ともらしました。どういうこと? と聞くと、初めて二丁目に来た時に女友達とゲイショップを覗いたそうです。するとそこの店員にとてもキツイ口調で、『女性はお断りです!』と言われて驚いて店を飛び出
したということでした。「それがとっても怖くて・・。それでしばらく二丁目に来れ なかったの」と、トラウマを語りました。
その話を聞きながらすでに、その店は私の働いているビデオ屋の本店で、それを言っ たのは山田君ね、と光景が手に取るように浮かんでいました。山田君は先月辞めたか らもう心配ないわよ、と言うのも変なので、「それは大変だったわね」と答えました。
ファーストインパクトが左右することは確かにあるように思います。彼女にとっては、山田君が初めてコンタクトしたゲイで、ゲイの人って怖い、二丁目怖い、と刷り込まれてしまったのかもしれません。
「でもここへ来てよかった。いま、ここにいるゲイの人たちは怖くないし、みんなや さしいし、普通に話せるし」
そう喜ぶ彼女に、「それはよかったねー」と相槌を打っていると、話が滑りはじめました。
「ていうか、ゲイの人たちって、みんなオシャレだし、かっこいいし、可愛いですよ ね! それにやさしいし、楽しいし!」
・・褒めてくださったのにお言葉を返すようで申し訳ありませんが、「ゲイの人たち はみんな」は偏見です(やっぱり、そういう意味での「おかまバー」はありませ ん)。「オシャレ」や「親切」に、異性愛も同性愛もなくて、どちらにもそういう人はいる、だけのことだと思います。
なんて、言えませんでした。突然の本音は、彼女にとって「怖い」セカンドインパクトになるかもしれません。お互いを理解するために時間がかかることもまた、セクシュアリティのせいばかりに出来ないような気がしました。