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「友達保険」

茶屋ひろし2010.06.11

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ひさしぶりに風邪をひきました。寝込むほどではないので、市販の薬を飲みながら出勤しています。この二年ほどは職場に人が少ないこともあって、風邪をひいたくらいでは休まないことが通常になってきました。休めない、と言ってもいいかもしれません。人がそれなりにいた頃は、少し具合が悪いだけでよく休んでいました(サボっていた、とも言う)。休まないのは、責任感が出てきたから、というほど偉そうなこともなくて、具合の程度では、まあ働けるか、と風邪をひきながら働くことに諦めがつくようになってきたような感じです(インフルエンザなど、感染する場合は休みます)。その諦め方に、全体的に治りが遅くなったことも含めて、年を取ったのかな、と思います。
休みの日にスタッフとの飲み会がありました。長年勤めていたスタッフの一人が辞めることになって、送別会という名目でもないのですが、ちょっとみんなでご飯でもしようか、ということになったのです。その日はひさしぶりに大掃除をして、夜に家を出ました。いつもたまに掃除を派手にするせいか、なにかよくないものをいろいろと吸い込んでしまって、良くて鼻炎、悪くて風邪を引きます。パンツ一丁でするのもよくないのかもしれません。マスクくらいつければよかった、と後から思いますが、掃除の始めにマスクのことを思いついた試しもありません。勢いだけで終わる家事です。
自転車を走らせながら、両腕がぞくぞくするのを感じて、風邪をひいたことを知りました。けれどこれからお酒を飲みます。ひきはじめに油断して酒を飲んで本格化する、わかっているけど、しょうがないこともあります。
今回職場を辞める人は、15年も勤めていました。時々、このコラムでも出てきたお局さま、通称「姉さん」です(いま37歳だったかしら)。15年間、忌引き以外で休んだことのない、無遅刻無欠勤の歴史を持つ姉さんは、私の中でレジェンドでした。
なぜ辞めるのか、これからどうするのか、とのみんなからの問いには、もう疲れたの、休みたい、と答えました。
もちろん勤務15年の存在がいなくなることは大きく(というか、姉さんが引き受けていた仕事が回ってくる負担も大きく)、引き止めたい気持ちは山々ですが、姉さんは「それは後の人たちでやればいいのよ、できないわけじゃないだろうし。私はもう十分やったから、もういいの」とさらりと流します。辞める決意は少しも揺るぎませんでした。
そういえばほとんど揺るがない人でした(融通が利かないわけではありません)。カウンターに立つと、まるで灯台のように、その大きな二重の目力で万引きを防止しているような人でした。それでも万引きをした人が逃げた時、その灯台の揺ぎなさが突風に変わったかのように店を飛び出して、万引き犯の腕をつかんだものでした。
一度は焦った犯人に顔を殴られて、「なんで殴るんですか!」と道端で問いただしました。犯人は急に大人しくなりました。とつぜん自分を殴ってきた人にそんな台詞はなかなか言えたものじゃないわ、と感心しました。
家と職場を往復するだけの若いスタッフたちに、「友達つくったほうがいいんじゃない?」とアドバイスしながら、「姉さんだって往復しているだけじゃないですか」と突っ込まれると、「自分はいいのよ、とくに友達いらないから。でもあんたたちはもう少しいろんな人と出会ったほうがいいと思うから言っているのよ」と返していました。
よく仕事帰りに姉さんと食事に行きました。姉さんは飲まないで食べる人で、私はその逆です。あまり食べないくせに、私がいろいろと注文してしまった料理は当然のように余って、いつも姉さんは、もう、と言いながら次々とお皿をやっつけていきました。私はそれと同じペースでビールを口に運んですっかり酔った頃、姉さんは若いスタッフたちに言っていた台詞を言い始めます。
「本当に、友達が欲しい、とかないのよ。かといって誰かと付き合いたいわけじゃないし、実家に戻る気もないし・・」
ふんふん、と酔った私は適当にうなずきます。
「でもねー、たまに淋しくなるときもあるのよ。それが悔しいの」
淋しいのが悔しい・・? うーん、というふうに相槌を変えます。
「私はもっと強くなりたいのよ。もっと、一人でも、平気になりたいの」
姉さんは十分強いと思いますが・・もっと? どういうこと? と疑問に思いながらも、なんとなくわかるような気もしました。
その若いスタッフ(といっても数年しか違いませんが)の一人のポチとひさしぶりに飲みに行ったときに、「茶屋さんは老後のことを考えていますか」と聞かれて、「考えていません」と答えると、「そんなことでどうするんですか」と叱ってくるので、「どうしたの?」と聞き返すと、「僕は不安なんです」と言うので、「私の老後を心配してくれているの?」と返すと、「僕の老後に決まっているじゃないですか。僕には友達がいません」と言います。知らんがな、と思いながら、「ああ、いなさそうね」とわざと肯定すると、「だから今から人間関係のメンテナンスが必要なんです」と宣言しました。
上野千鶴子さんの「おひとりさま」言説は読んでいない人たちにも浸透しているようです。
私たちの老後、と言ってもあと30年とか40年先の話だし、上野さんもその年になって本出したし、人間関係や社会状況はそのつど変化しそうだし、というか、老後のために友達が必要というのは本末転倒じゃない? といろいろと思うところはありましたが、「ポチには私がいるじゃん!」と笑顔でまとめたら、「茶屋さんは僕の敵です!」と取りつく島がありませんでした。
いつも姉さんが何か言おうとして同じ台詞を繰り返してしまうのはなぜか、と考えていて、ふと、学生時代に、「一人暮らしで風邪をひいたときに看病しに来てくれる人が友達だ」と定義していた友人を思い出しました。そのときは、そんなものかしら、と看病しに行ったものでしたが、自分が風邪をひいたときはとくに看病を望んでいませんでした。風邪は寝て汗をかいたら治る、と思っているからかもしれませんが、なんとなく、かつての友人たちと住む場所を離れて連絡をとることも少なくなって、という経験を重ねてきた今では、「友達の定義」も変わってきたような気がします。
地理的に近くにいる人で、たまに一緒にご飯を食べる人がいれば、それでじゅうぶん友達だと思っているようです。加えてこのごろは、好きか苦手かはありますが、初対面の人にでも、話したくないことが少なくなってきました(節操もない)。
昔のよしみ、も好きですが、今の友達もいずれ離れるかもしれない(ならないかもしれない)、とふんわり考えているくらいが好きです。
「あ、でもとつぜん入院した時に着替えを持ってきてくれる人がいないと実際に困るかも」と、そのそばからすぐにはぐれて職場のオーラちゃんに泣きつくと、「じゃあ、それは僕がしてあげるよ」と言ってくれました。毎日なんでも聞いてもらって・・オーラちゃんに負荷をかけすぎです。姉さんほどではありませんが、やみくもに友達を保険にしないような強さは欲しいところです。

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茶屋ひろし

茶屋ひろし(ちゃや・ひろし)

書店員
75年、大阪生まれ。 京都の私大生をしていたころに、あたし小説書くんだわ、と思い立ち書き続けるがその生活は鳴かず飛ばず。 環境を変えなきゃ、と水商売の世界に飛び込んだら思いのほか楽しくて酒びたりの生活を送ってしまう。このままじゃスナックのママになってしまう、と上京を決意。 とりあえず何か書きたい、と思っているところで、こちらに書かせていただく機会をいただきました。 新宿二丁目で働いていて思うことを、「性」に関わりながら徒然に書いていた本コラムは、2012年から大阪の書店にうつりますますパワーアップして継続中!

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