今年に入ってから、父が私とコンタクトを取る頻度が増えてきています。毎月出張で上京している父ですが、以前は一年に一度私と会うくらいだったのが、ここのところひと月に一度の割合で、会おう、と連絡が来ます。間合いを詰められている気がします。心配して気にかけてくれているのは有り難いのですが、すでに私を喫茶店のマスターにする計画が始まっているのかと構えてしまいます。
といってもそんなこともありませんが、夕食の席で、最近の父の考え方を聞くことが面白くもあります。
今月は、「こういう言い方をすると、おまえは絶対怒ると思うけどな・・」と三回同じ前置きをしたあとで、「人には、おまえのことは、障害者みたいなものです、って説明しとるねん」(同性愛者とは言えなくて・・)と言いました。
怒る、というより、なぜか、「ひどい!」と言いながら笑ってしまいました。
続けて、「その言い方は、私に対してというより、世の中の色んな人に対して失礼やわ!」と一応怒ってみました。
マイ父・・、同性愛ということを受け入れようとしてくれているのはわかりますが、なかなか難しいようです。私は私で、近年「障害」という言葉を受け入れにくくなっています。「それは障害なのかな」とじっと考えていると、「今のその人自身なだけじゃないの?」という結論に至ることが多くなってきたためです。
続けて父は、「お母さんともよく話してるんやけどな、生まれてすぐのおまえを施設に預けたのが良くなかったんじゃないか、と言うとるんや」と言いました。
それの何が良くなかったの? と呆気にとられます。二人の親にとっては、それが、私が同性愛者になった大きな原因のようです。そんなん、まったく関係ないわ、と思いましたが、反論はしませんでした。
私が生まれてすぐ乳児院に預けられたのは、三つ上の姉が腎臓病を患っていて、母は姉につきっきりで、父は長時間労働をしていたためでした。
私はその後保育所に通い始めます。ほぼ一日預かってくれる場所です。
当時は私を保育所に入れるにしても、姉のことを理解してもらえず、怠けている主婦(なんだ、それ)とみなされて、なかなか受け入れてくれるところがなくて大変だった、と母が後に言っていたのを覚えています。
姉の病気は重度で、幼い頃から入退院を繰り返していました。腎臓の機能が上手く働かないので、運動制限と食事制限を余儀なくされていました。長時間歩けない、走れない、塩分や刺激物は避ける、といった感じです。薬の副作用もきつく、筋力もつかない生活なので、身体の成長も伸びない様子でした。
幼い頃は知りませんでしたが、二十歳まで生きられるかどうか、とまで言われていたそうです。彼女が高校二年生の頃に今までになく危険な状態になったときに、強い薬の副作用で髪が抜けて顔が風船のように膨らんでしまった状態が脳裏に焼き付いています。今でも思い出すと、本当につらかっただろうな、と思います。
比較的元気な時は、小中高と、母が姉を自転車の後ろに乗せて毎日送り迎えをしていました。給食や学食を口に出来ないので、お弁当も母が毎日つくっていました。
姉は学校には友達もいるし勉強もしたいしで、できるだけ通学したいのですが、また悪化しては入院することの繰り返しでした。入院するたびに、よく泣いていました。母は子どもの前では泣かない気丈な人でしたが、たぶん同じように泣いていたかもしれません。
そんな母と姉の、病気に対する強力タッグの側で、私は子どもの頃から、姉の前ではお菓子を食べない、とか、入院したらよく見舞う・・それもたぶん、知らない世界(「院内学級」や「婦長さん」)と出会えて楽しいから、という程度の理由で、とか、そんなことしかしていませんでした。
姉の病気のことは、生まれたときから家の中心で、それが当たり前の世界で育った私は、外の世界に触れたときの、姉は普通の人でない、という常識が、姉を精神的に追い詰めていく状況に、ずっと接してきたような気がします。
「健全な肉体に健全な魂が宿る」という言葉に過敏に反応して嫌がっていた高校生の姉のこともよく覚えています。不健全な肉体にだって健全な魂は宿る! と怒ってまた泣くのです。「障害者」という言葉、そう呼ばれる人についても、姉と二人でずっとグルグル考え続けてきたような気がします。
「障害者」と言うと「健常者」という言葉が対になりますが、この比較が、姉を追い詰めてきた原因だったように思えて、今では、この方式で考えないほうが光の見える方に行くような気がしています。
姉の場合は、腎臓の機能が上手く働かないことが通常の状態である、とまず理解してみる、そのとき、腎臓の機能が上手く働いている人と比較しすぎない。姉にとっては腎臓のことが一番の課題ですが、腎臓が上手く働いている人にも同じくらいの大きな課題があるかもしれない、と分けて考えていく方がいいのではないか、ということです。
同性愛者は変態だ、と言われる時に、人間は誰だって変態だ、という切り返しがありますが、それと似たようなことかもしれません。ただ、その人にとっては、一番つらいことがいつもその人のすべてになると思うので、変態という言葉がつらいことなら、有効な方法ではないかもしれません。
父が、私の同性愛要素みたいなものを「障害」と言ったとき、私は「障害」でもなんでもいいや、と思ってしまいました。父は「それ」を、何かと比較して、言葉にして、理解しようとしているからかもしれません。父の中では、今、それは「障害」なんだ、と思いました。しょうがない、と嫌いな駄洒落も使って受け入れます。
姉の病気は二十歳を過ぎてから、なんだかどんどん快方に向かいました。その頃私が気になっていたのは、姉の恋愛状況と必然的に密着しすぎた母と姉の関係性で、姉が見合いした相手の話を聞くと、やだ、そんな男、と口を挟んで、一人暮らしをしたいと言えば、是非! と煽っていました。そうして姉が三十歳を過ぎてしばらくしたあと、病気が治ってしまいました。信じられなくて、「コーヒーを飲んでいいの? 働いているの?」と驚きのあまり、何度も同じ質問を繰り返したほどです。
ここのところ、ビデオ屋によく来てくれるお客さんの「病気」が進行しているようで、お金を私に渡す時に、すんなりと渡せずに、大きな声でおまじないを唱えます。唱え終わって、一息入れて、「はい!」とお札を差し出します。店を出る時も、すっと出ることが出来なくて、何度もその場で行きつ戻りつをしたあとに、「はい!」と言ってお店を出ます。
大変だなー、と思いながら、その「儀式」がちゃんと遂行されることをうつむいて待ちます。その人のつらさや大変さはわかりませんが、つらくて大変な状態にあることはわかるからです。そして、昔からいつも自分より周囲の人が大変だったことが多かったわ、と振り返ってみました。