煙草のけむりが仄かにただよう暗いステージで、黒いパンツスーツに身を包み、その容姿に刻まれた多くの皴と、弛みを帯びた二の腕を露わにして、圧倒的な存在感で立つマリアンヌ・フェイスフル。彼女が棘のささるようなかすれた声で、言葉のひとつひとつをかみしめながら歌いだす瞬間、人生というものの哀歓を感じずにはいられない。
私がマリアンヌ・フェイスフルを知ったのは80年代後半。彼女のSTRANGE WEATHERというアルバムが出た頃である。ピーター・バラカン氏が司会をしていたTVの音楽番組で、マリアンヌ・フェイスフルのBroken Englishという曲のプロモーションビデオが紹介された。ドラッグと酒で潰れてしまったという声帯からしぼり出されるしゃがれた声、そして彼女のかもし出す痛ましいほどの暗い陰影。それはあまりにも強烈だった。
1949年ロンドンにて、オーストリア男爵夫人と英国人教授の間に生まれ、女子修道院学校に通う上流階級社会の中で、類いまれなる容姿とスタイルに恵まれた彼女は、芸術方面に好奇心あふれる女性だった。
1960年代、スウィンギング・ロンドンと呼ばれたその時代、保守的な上流社会への閉塞感に息をつまらせていたマリアンヌは、とあるパーティで出会ったザ・ローリング・ストーンズのメンバーと親しくなり、音楽業界に見出されアイドルとして歌手デビューする。
ミック・ジャガーの恋人として世に名を馳せ、有り余る若さを自由と快楽に身をゆだねた筈が、いつしかドラッグと酒に溺れる日々となり、オーバードースで瀕死の状態まで陥った。その後、薬物依存治療施設にも入り、ボロボロになった身を削るように生き延び、満身創痍で奇跡のカムバックを果たしたのが、1979年にリリースされたアルバムBROKEN ENGLISHである。
タイトル曲Broken Englishでリフレインされる“what are we fighting for”はドイツ赤軍創設者、後にシュトゥットガルトの獄中にて自死した女性ウルリケ・マインホフの言葉である。マリアンヌはこのウルリケのもつ情熱に感動したという。いまも繰り返し聞く度に、マリアンヌから発せられるBroken Englishのざらざらと尖った歌声は重く深く問いかけてくる。ドラッグ、そして過去に付された烙印との闘い。〈私たちは何のために闘っているの?〉その問いかけはもう若くはなく軽くもない私自身の過去へも反芻される。
アルバム中盤のThe Ballad Of Lucy Jordanは大好きな曲だ。〈Lucy Jordanは37歳になって、やっと気づいた、暖かい風に髪をなびかせ、スポーツカーでパリを走ったこともないのだと・・・〉。この歌を私は何度口ずさみ続けただろう。映画「テルマ&ルイーズ」にてこの歌が流れるシーンで私は涙が止まらない。専業主婦だったテルマ(ジーナ・デイビス)が生まれて初めて親友ルイーズとともにオープンカーに乗ってアメリカの広大な地を駆ける姿に、Lucy Jordanが投影される。
このアルバムBROKEN ENGLISHは70年代後半のパンクから80年代ロックへの移行期的な荒削りな音作りが、いま聴くと多少古めかしさ(ひとによっては懐かしさ)を感じるかもしれない。だが先日YouTubeで見た2011年のステージで、小編成のシンプルなバンド演奏で歌っていたBroken Englishは、今もってリアルだった。
80年代以降のマリアンヌのキャリアは本当にすばらしい。ときにドイツの退廃美学に身を殉じるキャバレー歌手のように、ある時はアイルランドのトラディショナルソングを荒野にたたずむように歌い、2000年代にはいってからは、彼女の娘や息子ともいえる年代のアーティスト達が、マリアンヌ・フェイスフルに尊敬と愛をもって曲を捧げアルバム制作を共にしている。都心のCDショップではそんな彼女のすばらしい作品をなかなか入手できなくなった。置かれているのは60年代のアイドル時代のアルバムばかり。リイシューされるそれらの帯には、彼女の若かりし頃の美しさがノスタルジックに語られるばかりが残念でならない。
2011年リリースの最新アルバムHORSES AND HIGH HEELSは静けさのなかに満ち溢れる情感のバラードが美しく胸を打つ。いまなお過去と対峙し続けながらも、でも重荷を下ろして息を抜いてゆっくり歳を重ねていくのも悪くないわよ、と語りかけてくれるようなアルバムなのだ。
インターネットでマリアンヌの近況を探っていたらこんな記事が見つかった。昨年イギリスのTV番組で、第二次世界大戦終結時に彼女の母親と祖母が旧ソ連軍より性的暴行を受けたことが原因で男性嫌悪になり、ドラッグとアルコールなしではセックスが出来なかったと告白。
「2人の苦しみは深かった。祖母は自分を愛してくれていた祖父のもとを離れ、母は立ち直れずに男性を憎み続けた。そして、母の男性への憎しみは私の心にもしみついてしまった。男性と自然に交際できるようになったのは50歳くらいになってから。そしてようやく、アルコールやドラッグに頼らなくてもセックスできるようになった」と語っている。
Marianne Faithfull HP
http://www.mariannefaithfull.org.uk/