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ベルリンで毎年開かれる見本市でバイブ2009年の新作(ファッション業界風に書いてみたが、まんざらウソじゃない感じがする。”大人のオモチャ”は今まであまりにもデザイン化されていなかったために、デザイナー心をくすぐる最後の砦になっている。実際、元ファッション業界出身とか、元工業デザイナーという人たちが新参者としてどんどん進出してきているのだ。そのため、バイブが年々、手が届かない・・・気分にさせられるほどオシャレになってる。ほんとだよ。いっぱい仕入れてきたので、お楽しみに!)をたんまり買い込んだ後、せっかくヨーロッパにいるのだからと、ローマとヘルシンキに立ち寄ってみた。
ベルリン、ローマ、ヘルシンキ。全く違う三つの都市。色々思うことあり、なんとなく飛行機の中で、「そうだ、『ナイト・オン・ザ・プラネット』を観よう」と思った。1991年ジム・ジャームッシュの作品。ロス・ニューヨーク・パリ・ローマ・ヘルシンキの5つの都市の夜、タクシーの中でおこる物語を描いたオムニバス映画だ。自動車の整備工を目指すウィノア・ライダーの可愛さは今でも脳裏に焼き付いているし、盲目の役で白目を剥き続けたベアトリス・ダルの演技は不気味にかっこよくパリはますます憧れの街になった。20歳の時だ。当時の私はニューヨークしか知らなかったけど、17年後の今は全ての都市を知っているのね・・・と、フーッと大人な気分でため息をつき、で、みなおしてみよう、と思ったのだった。
帰ってすぐツタヤに行った。近所のツタヤではサスペンス、ロマンス、ドラマ、アカデミー賞という、ものすごい乱暴な分け方でアイウエオ順で並んでいる(ちょっと前までは、俳優別とか監督別に分けられていたのに。何で!?)。「たぶんドラマの項目・・・」と探してみたが見つけられなかった。若い男子店員に「ナイト・オン・ザ・プラネット、ないですか?」と聞くと、「ナ?」と聞き返された。ナ、しか認識しないのかよっ! ツタヤで働いているくせにジム・ジャームッシュも知らねぇのかよ! 時代は変わったよ! と、大げさに心の中で嘆いてみた。(結局、コンピュータ検索で見つかった。)
さて。17年ぶりの映画との再会。厳かな気分でDVDをセットした。トム・ウェイツの声が流れてきて、ああこれこれ! と学生時代のあの頃の気分を一人盛り上げ、猫の存在も忘れ没頭・・・するはずだったのだが・・・。
2時間後、私はテレビの前で静かに唖然としていました。
これが同じ映画なのか、と。20歳の時に何かとても新しい世界を観ているような気分にさせられた、とってもオシャレなものを味わっているような気分にさせられたあの映画なのか、と。サムライのように背筋を伸ばし目をつむってました。
監督はジム・ジャームッシュ。『ナイト・オン・ザ・プラネット』を創ったのは38歳の時。今の私と同じ年。しかし、なんつーことでしょう。今の私にはこの映画・・・若い兄ちゃんがつくったお洒落ではあるんだろうがペラペラな映画、にみえちゃうんでした。さらにウィノア・ライダーの演技の下手さ(だって”整備工になりたい女の子”という説明をするためだけの演技なんだもん!)にイライラし、ベアトリス・ダルの白目はまぁ凄いんだろうけど黒人の運転手との物語から匂う説教臭さ(人種差別としょうがい者差別を戒める寓話でさ)の方が気になっちゃう自分がいたのでした。それはもちろん私の20年間の変化であるのだろけれども・・・。それでもそんな自分の変化よりもなによりも、20年前にこの映画が成立していたという「時代の変化」というものに圧倒されたのでした。
なんというか。ナイト・オン・ザ・プラネットが成立しない世界に、私たちはもう生きているような気がした。街がつくる空気から人々は逃れることはできず、街はとても閉じているから人々は街に寄り添うようにしか物語らない、というような世界観。そういう世界に無理を感じてしまうような世界に、私たちは生きている。少なくとも、「星」レベルではそうなっている。そんな気分になったのでした。今のこの星の夜というものは、もっと複雑に街と街が絡み合い、感じ合っているはずで、人々は生活しているその「街」というもの以上の大きな渦に巻き込まれるような形で星を意識しているのではないかしら、と。
「星」レベルでは少なくともそうで、今「ナイト・オン・ザ・プラネット」が成立するとしたら、鹿児島県指宿市と大阪ミナミと北海道旭川市との夜の物語とか。もしくは、荒川区と世田谷区と江東区と品川区と足立区と大田区の夜とか。そういう「ナイト」であれば成立する気がする。どこも同じようなもんでしょニッポンと思っていたニッポンの夜が全く一つなんかではないことの方が、今の気分としてはリアリティがあり。東京の中の格差の方が気になったりする現実があり。色んな国があるんだぁーーーっというような「国際気分」は、今としては、何か途方もない大きな力一つで「国際」が簡単に動くような気分にリアリティがある。
時代は変わる。変わるもんだよ、としみじみだ。ちなみに、一緒に借りた「ローマの休日」がとても面白かったことに驚いた。若い頃はバカにしてきちんと観なかったが、名作だと思った。オードリー・ヘップバーンが公務から逃げローマで一日を過ごし恋をし、でも最後は自分の「仕事」に戻る。そのシーンに打たれた。戻ってきた彼女に対し年老いた侍従が「高貴な人々の義務」について説教するのだ。その時、オードリーはピシャリとこんなことを言う。
「義務について教わる必要はない。私がもし義務というものを知らなかったら、今晩、ここに戻っては来なかっただろう」
このシーン、私はなぜ若い頃、目に入らなかったのか、不思議である。
オバマさんが大統領になった。オバマさんの言う「チェンジ」が、あたたかく平和なものであることを祈るような気持ちで、変化、というものについて考えてる。
※今週土曜日、大阪の女性センターで話します。お近くの方いらして下さい。詳しくはラブピニュースで。