8年前の秋、朝起きて新聞を広げたら私には病名が付けられていた。
性同一性障害。
その新聞にはどうしても男を好きになれずに悩んできた人の話や、スカートを履くのがイヤだという(生物学上の)女達の話しが載っていた。
「女が好きでーす。」「スカート履きたくないでーす。」
そんな私個人の欲望に神経をとがらせ、私を諭したり窘めていた社会の目が変わったと知ったこの時、私はいつもまにか変態から障害者へ転身していた。
その数週間後、私はとにかく行ってみようと、性同一性障害の第一人者という医師を訪ねることにした。バリバリ(腰に巻くコルセット)で胸を潰し、トランクスを履く私が、何を隠すことなく語ることが出来る場所がある。私にとってその感覚は、とても新鮮なものだった。そしてその場所は、「ウェルカム!」と私を笑顔で迎えてくれる場所のはずだった。
そこは都心から電車とバスを乗り継いで、1時間半ほどの所にある大学病院。周囲を畑で囲まれた、のどかな場所にあるその病院は、数キロ先からでも見つけることができる、大きな大きな病院である。平日の午前9時。中に入ると、町の人がすべてここに集まっているのでは? と思うほど、たくさんの人で溢れていた。まずは受付。私にとって、一番の難関である。一見、男のように見える風貌をした私は、保険証に書いてある性別と見た目が違うために、あれこれと聞かれることが多いのだ。でもこの病院は少し違っていた。保険証と私の顔を見比べながら顔色一つ変えず、受付の人はこう言った。
「形成外科は○階の右手です。」
お見通しなのだった。私が何のためにこの病院に来たのか、私がどんな人であるのか。診察室に入る前にすでに私は診断された。この時、性同一性障害を患う者という一つのくくりの中に自分が置かれる感覚を私は初めて味わった。男、女、そのどちらかに属すことを求められ、でもそれが出来ず、フワフワと浮いていた私が、この瞬間、属性、性同一性障害者! と着地させられたような、そんな感じだった。
属する場所がある。それはムズ痒く、座りが悪く、でもちょっとワクワクするような、他人事のような、地に足がついていないような奇妙な感覚。だからこそ私は気楽だった。
松葉杖を持っている人や包帯をグルグルに巻いてる人と共に、私は形成外科の待合室に座って順番を待った。目の前には、指を切り落としてしまった人の術後の再生した指の写真が貼ってあった。
私の名前が呼ばれ、診察室に入ると、そこには性同一性障害の第一人者である年のころ60歳くらいの、威厳があるように見せているような白髪の医師が座っていた。私は性同一性障害の特集記事を片手に話し始めた。
私 「あのー新聞読んだんですけど、どうやら私、ここに書いてある性同一性障害みたいなんですけど。」
医師「(無表情のまま)・・・」
私 「(新聞を取り出し)この人達と同じような体験をしてるんです。ここに書いてあるように、ホルモン治療とか手術とかできるんですかね?」
医師「治療を開始するためにはTSであるかどうか、いろいろ調べなきゃいけないでしょう(語気強め)。ガイドライン知ってます?」
私の頭の中 「TSって何??」
ポカーンとしている私に
医師「TSの意味知らないの? FTMって何だかわかる?」
私 「えーと、えーと・・・、(得意げに)ジェンダーなら知ってます!!」
呆れたように医師、「あなた、もうちょっと勉強してから来なさい。ここは真剣 に悩んでいる人が沢山くるんだよ。」
私「・・・・・」
なんで自分のことなのに勉強しなきゃいけないんだろう。
何を勉強するの? 何のため? ポカーン・・・
私には医師の言葉が不思議でたまらなかった。
FTMもTSも何だかわからなかったけど、新聞に書いてあった性同一性障害の人達の体験は、確かに私がこれまで経験したことだった。私が感じた違和感が障害の証になるはずなのに。でも、それだけじゃダメだった。自分を称する言葉を知らなかった私は、結局何にもなれないまま病院を後にした。
病院のお墨付きをもらえなかった私は、自称性同一性障害者となった。この頃から、TSの存在は急速に社会に認知され、私の生活も少し楽になる。「男の人っていいよ、付き合ってみなよ! 私、アンティルが普通の人になれるように祈ってる(涙)」そう言っていた友人が、「この人、性同一性障害なんだ。こうみえても女なんだよ!!」と友だちに自慢するようになった。
お酒を飲んでいて、「あんた男? 女? レズなら興味あるんだけどなぁ」とオヤジに絡まれることもなくなった。自分を変えることを迫られなくなった。ひとえに性同一性障害という障害名のおかげである。周りの人達が変って、私も変わった。変態から障害者へ。私を温かく見守ろうと声をかける人が日に日に増えていった。
励まされる存在。20代半ばまで変態として扱われていた私にとっては、劇的な転身である。
医師に認定されなくても、治療ができなくても、「まぁいいかぁ」な気分で私は、TS、FTM、TVという言葉を勉強することなく、自称性同一性障害者として暮らしていた。
その3年後、私は再びにこの病院の精神科を訪れることになる。
このエッセーは、FTMと名付けられている私の個人的な体験を綴るものです。今後ともよろしく。