朝が怖い。ここひと月私はあることに悩まされている。それはおねしょだ。
ホルモン療法の影響で起こる症状、ほてり、物忘れ、倦怠感を解消するために私は薬を飲み続けている。私の症状に合う薬を探しはじめて5年。これまでにいろんな種類の薬を試してきた。新しい薬になって半年。この薬によって、諸症状が改善しないばかりか、薬の副作用による新たな症状が出現し始めた。
頻尿だ。寝ている間だけで、6回はトイレに行く。しかも睡眠障害も始まり、夜は辛いだけの時間に様変わりした。ようやく眠りについても尿意が私を叩き起こす。そんな拷問の中で私は、尿意より眠ることを選ぶようになった。
どんなにトイレに行きたくても我慢する。朦朧とする意識の中でそんな戦いを繰り広げているうちに、尿意は尿意で新たな行動を取り始めたのだ。毎晩見るトイレの夢。おしっこが止まらなくなる病気になる夢、便器に座っているのになぜか尿が便器に向かわず、私の顔をめがけて飛んでくる夢。はじめは大人になってからそうであったように、どんなにトイレの夢を見てもおねしょをすることなどなかった。しかし!ある日を境に私の膀胱が言うことを聞かなくなった。
あの夢が悪夢の始まりだった。
それは綺麗な花壇。学校の校庭らしい広い敷地にある花畑のような花壇を私は管理する役目を担っているらしい。ポカポカと温かい日差しが気持ちいい日に、私は花壇に入る。丹精込めて育てた花々は綺麗な花を咲かせている。どうやら私の役目は花に水を上げることらしい。ジョウロを持って背丈の半分ほどの高さがある花に私は水分を与えようとしている。しかし、私はジョウロを使わない。しゃがみこんで、水をやる。そう、私の尿がお水代わりなのだ。不思議なことにその尿には底がない。花壇の花すべてに命を与えられるのだ。咲き誇る色とりどりの花。それはそれは気持ちいい世界に私は包まれる。
そして私は目が覚めたのだ。懐かしい感覚。ショックだった。あの気持ちをなんと言ったらいいのだろう。恥ずかしさと敗北感が混ざった絶望的な気持ち。
横で寝ているパートナーを静かに転がして、濡れたシーツを取り換えた。
あの夢を境に私のおねしょが本格的に始まった。月に1度、私はおねしょを繰り返すようになった。
そして先月、おねしょがパートナーを攻撃した。寝ているパートナーの足をめがけておねしょが移動したのだ。ほんの少しだけど。パートナーは私に静かに言った。オムツをしてくれ。
私はその時の寂しさを忘れない。悲しみと怒りが交じった泣きたくなるような寂しさ。そしてその言葉から私は死んだ祖母のことを思い出した。それは寝たきりになってしばらくしてからのこと。一人で立ち上がることが出来なくなった頃に祖母はオムツを介護士に勧められた。しかし祖母はそれを頑なに拒んだ。
あの時の祖母の顔は今の私の顔と同じだ。自分ではどうにもできないカラダの変化。しかしオムツをすることで私の何かを奪われるような恐れ。そうそれは私の尊厳だ。
迷惑をかけずに生活するためにするオムツは、それと引き換えに社会の邪魔者の烙印と収容所に放り込まれるような束縛感を私に与える。イヤだ! それだけはイヤだ! 私はパートナーが買ってきた紙おむつ(大人用)に拳を上げた。今度したら私は紙おむつ収容所に連れて行かれる。そう思うと私の朝は恐怖に変わる。2009年春。頻尿との戦いが今日も続く。