北原さんからイチゴ事件はいつまで届くのか、というメールが届いた。なぜか少し怒っているようだ。なので、今日が苺事件の最終回です。私も終わらせねば・・・と思いつつ、ずっとイチゴ事件の中に自分がいた。終わらないあの時の気持ちがまだここにあるかのように。・・・終らねば。
TがKと付き合っていることを認めた夜、私は2人が一緒にいたところを目撃する。それまで幾度となく頭に浮かべた2人の姿。しかし実際に見てしまったことのショックは大きかった。あの頃の私がもっとも怖かったものは夜だ。Tに喜んでもらえるように考えてコーディネートした部屋は牢獄となって私を苦しめていた。独りであることを思い知らせる部屋、社会と分断されている牢獄。オンナが好きな私でいる限り、誰かを好きになることは許されないのか?! 私は存在してはいけない人間なのか? なぜ“みんな”の愛は許されて私の“愛”は悪とされるのか?! 牢獄は私が私を拷問する装置となって私を深く傷つけた。私は何のために生まれてきたの?
私は部屋にいるとき酒を飲んで夜をやり過ごし、出来る限りWの家に逃げ込むという毎日を送っていた。そしてWは日に日に私への興味を深めていった。Wもまた私との時間が必要だったのだろう。しかし今になって思う。Wはなぜ私と付き合いたかったのだろうか? 母親と同じようにオンナを好きになることでWは母を肯定したかったのだろうか。それとも知りたかったのだろうか。
Wはセックスを求めてきた。結局、私はWとセックスすることはなかったのだが、泊まる度に私はWが言うまま腕枕をしていた。付き合っているのか、友達なのかそのことをWはいつも気にしていた。Wの母親が死んでから半年後、私はWの問いに「付き合っている」と答えた。
Wはそれまで誰とも付き合ったことがなかった。Wは男女がよくすることを私に提案した。
W「ディズニーランドに行こう!」「あの夜景が綺麗なホテルに泊まってみたい」
しかしそのどれもが私の古傷を痛めた。Tと行ったディズニーランドや海沿いのホテルの思い出が浮んで胸が締め付けられる。
私「ディズニーランドは嫌い。サンリオピューロランドならいいよ。」
「海より山が好き。」
私とWは子供の後ろでキティーを見つめ、夜景のない山奥のペンションで夜を過ごした。そして私がようやく一人でも部屋にいられるようになった頃、Tから電話がくるようになったのだ。
T「どうてるの?」「やっぱりアンティルと話しているのが一番落ち着く」
私がTのいない生活を乗り越えようとするとかかってくる電話。話すたびにスタート地点に引き戻され苦しみから抜けられなくなる。そしてあの日を境に私とTはあらたな関係が始まった。
T「今日お母さん旅行中なの。泊まりに来ない?」
再び私の恋愛地獄がスタートした瞬間だった。でも、イチゴ事件(今となっては覚えている人も少ないかもしれません)ではじまった別の地獄は、とりあえず、終わった・・・のだった。