皆様、あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
・・ですが、私はあまり新年を迎えたという気分ではありません。
年末に起きた(というか、私が起こした)人とのトラブルを抱えたまま、解決策も見出せず、悶々とそのことを考えていたら、クリスマスに飯島愛さんの訃報を聞いてショックを受けて、そのことも重ねて考えているうちに、ガザ地区がひどい状況にあることをたくさん知るようになって(本文には関係ありませんが、今すぐの停戦を望みます。これはパレスチナ人への大量虐殺で、戦争犯罪です。イスラエル軍はもとより、ハマスも黙認している国際社会もそして私も、同罪だと思っています)、ひとりでオロオロしているうちに、そのまま年を越してしまいました。
すべて違う話ですが、新年を迎えたいまも、それらが代わるがわるに思考に入り込んでくるという状況です。加えて、初詣におみくじを引いたら「凶」でした(それはどうでもいい)。
冒頭の文章は、中島みゆきの歌の一節です。先月の始めに、初めて「夜会」に行って来ました。「夜会」とは、なんと言えばいいのでしょうか、コンサートとは違う、演劇に近い中島みゆきの舞台です。1989年の開催当初は実験的なコンサートのようなものだったのが、最近では、中島みゆきの書き下ろしたオリジナルストーリーと楽曲で、まるでミュージカルのようになっています。なぜか、この「なんとかのようなもの」という形容がいろいろとしっくりくるように思います。それはこの舞台が、中島みゆき抜きでは成り立たないということに関係しているからかもしれません。
冒頭の歌詞は、今回の舞台「夜物語 元祖 今晩屋」(「夜会」vol.15)で繰り返し歌われた一節で、私はこの部分が耳についてしまい、今でも歌ってしまいます。
百八つの除夜の鐘が百九番目を打ってしまいそれが鳴り止まない、という状況を歌っています。
そういうわけで、12月の最初の「夜会」ですでに私の年の越し方を予知されていたのか、と思うくらいこの節にはまっている気分なのです(というか、人間関係のトラブルは問題解決に向けてほとんど何もしないでこれを口ずさんでいるだけなので、そのままの状態なだけですが)。
というわけで、前置きが長くなりましたが、今回は「夜会」について書きます。東京公演は終わりましたが、大阪はこれから(1月末から)だそうです。
この先は内容に触れますので、観る予定のある方は観てから読んでください。勝手ですみません。
といってもまだ前置きは続きます。私は中島みゆきのファンでありながら、コンサートも一回しか行ったことがありません。10年くらい前に行った、アルバムタイトルからとった「わたしの子供になりなさい」ツアーがそうでした。このタイトルを聞いた時は、文字通り、すべての男の母親となった女をイメージして、それってどうなの、と混乱しましたが、実は、というかやはり、そんな単純な話ではなかったかもしれない、と今は思います。そのことについては後で書きますが、ともあれ、中島みゆきの舞台を見るのは今回で二回目でした。
今までの「夜会」の公演はDVDで発売されています。何点か買って見てきましたが、演劇色の濃くなってきた中期あたりから、私はひとつのDVDを最後まで見通すことが出来なくなりました。途中で、なにが舞台で行なわれているのかよくわからなくなってきて、ついていけなくなってしまい、何度か一時停止をしたあとに、けっきょく見るのをやめてしまうのです。一貫性があることはわかりますが、台詞(歌詞)が理解できなくて物語の中に入り込めない、という状態です。原作の小説が出版されたときは、それを読んで、もう一度見直すと、なにが行なわれていたかはある程度わかるようになりますが、それでも、やはり途中でやめてしまいます。疲れが出るようなこともあり、私の体力の問題かもしれないと思っていました。
なので、今回の「夜会」のチケットを友達が取ってくれたときに、もしかして生の舞台なら、DVDとは違って最後まで見ることができるかもしれない、という期待が起こりました。それに、やはり一度行ってみたいと思っていました。
そして、最後まで見ることが出来ました。
よくわからなさはDVDのときと同じくずっとありましたが、疲れるどころか私は楽しんでいました。
物語は「安寿と厨子王」のその後、という設定です。殺された姉、生き延びた弟、子供たちを捨てた母たちの、その後の物語が、何百年も経ったいま、あの世ともこの世ともつかない世界で繰り広げられます。
こうやって書いていても、ストーリーやそれぞれの台詞(歌詞)、そして中島みゆきを含めた4人の俳優たちの役どころは今もよくわかっていません。男性の役者が一人いたので、あれが厨子王だったか、くらいの読解力です。
なのに、なぜ楽しめたのでしょう。
一幕で現れた舞台美術(両側に滝がありじっさいに水が流れ落ちている)を見て、登場した中島みゆき(役は「暦売り」)のあの素っ頓狂な声を聞いたら、私はすっかり中島みゆきの世界に入り込んでいました。私は、以前のコンサートで見た廃墟のような舞台美術も好きでした。歌っていないときの声もかつてのラジオで聞きなれていたからかもしれません。そうして始まって数分もしないうちに、客席で生まれて初めて中島みゆきに接する人がいたらどうしよう、引いてしまわないかしら、となぜか大きなお世話までしてハラハラしていました。そして唯一の男性の役者が登場した時に、失礼な話ですが、この人いらない、と思ってしまいました。
・・自分で書いていて、どんな感想かと思いますが、前置きが長かったせいか、書き切れない長さになってしまいました。すみません、次回に続きます。