私の働いているビデオ屋の常連客で、いつもマニキュアをしている人がいます。七十代の男性です。化粧はしていませんが「大阪のおばちゃん」のような派手な格好をしています。獣、革、紫、金、大きめのサングラス、原色のマニキュア・・背も高く顔がバタくさいため全体的にとても濃い印象です。パーマがかった髪の毛を後ろでくくっています。
週に一度の来店で、毎回ビデオテープを一本買ってくれます。
お金を貰う時に私はその色の付いた爪をじっと見てしまいます。男性の爪だからか面積が大きく見えて迫力があります。キレイに塗ることよりも、べっとりと濃く塗ることが重要なようで、ムラが多くところどころ剥がれています。今日の色はオレンジでした。
私もマニキュアを塗っていた時期がありました。
その頃は服や靴もレディースでした。フワフワヒラヒラ系ではなく、パッツンピチピチな感じでした。ヒールのあるブーツやペタンコのミュールなどを穿いて、時にはペディキュアもしました。髪の毛は長く、仕事中(コンビニの店員)はバレッタやピンでまとめてメガネをかけていました。
好んでそういう格好をしていたし、それはそれで楽しかったように思います。
それが、二丁目で働き出してしばらくすると、だんだんそうした格好をしなくなっていきました。レディースよりもメンズの服を可愛いと思うようになり、爪を切りマニキュアもしなくなりました。髪の毛は上京前に切っていました。もともと髪型には無頓着なところがあっていつも美容師にお任せなのですが、よく、オンザ眉毛でパッツンにされます。
服装が変わっても、美容室が変わっても、そこは変わりません。それが女っぽいセレクトなのかなんなのかはわからないままでいます。
バイトちゃんの中にも私と同じような変化をしてきた人が何人かいます。
二丁目にきた当初は、長髪で、服はレディースで、マニキュアをして、女もののアクセサリーを身に着けていたのに、しばらくすると坊主になってメンズのさっぱりした格好になるといった具合です。
これは二丁目効果だと思われます。
普段着がレディース、というか、その軽い女装が嫌になったというより、必要じゃなくなった感じです。
そう、あの頃は、それを趣味や嗜好でしていると思っていて、じっさいそういう部分もあったと思いますが、それよりもなにか必要だからしていたような気がします。
二丁目に来る前はノンケばかりいるところにいました。ゲイの友達はいませんでした。それを不幸とは思っていませんでしたが、周囲との違和を表明する必要はあったのかもしれません。
職場のオーラちゃんにそのことを話すと、
「気付いて欲しいオーラを出していたのかもね」
と言いました。
「ひと目でオカマとわかるような、ね」
と返すと、
「じゃなくて、ノンケの中に埋もれて見えないゲイの人たちに向けて」
と言うので、
それはあんまりなかったように思う、と答えました。
確かに、仲間を見つけるために自らが発光体のようになって、仲間に自分の存在を知らせるという意味で、そうした格好をしている人もいるのかもしれません。そうして二丁目に来ると仲間だらけなので発光する必要がなくなるのでしょう。
私の場合はゲイの友人を求めている感じではなくて、ノンケの人たちに対する一種の保護装置としての女装だったように思います。自分を守るため、というか、余計なことを言われないため、というか・・。
オカマがいるー、と五歳児に指をさされるとか、喫茶店の後ろの席で、イザム(当時)の話題が急に始まるとか、初対面で、バンドやってるんすか、と言われるとか、そんなことはあまり余計なことではありませんでした。それよりも、ノンケ男子とみなされることによって、お約束のような話題に巻き込まれることを余計に感じていました。
オカマとかイザムとか、そうやってちょっと引いた感じで見られることに安心感を覚えていたような気がします。それ以上はこちらが踏み込まない限りは寄ってきません。軽めの女装が勝手に最初に距離を取ってくれる・・まあ、単に浮いた人になっていただけかもしれませんが、その浮く感じが楽でした。
それも二丁目に来たら必要じゃなくなりました。その格好ではモテないからやめた、というのがこれまでの大まかな理由でしたが、コッチの方が本当っぽいです。
それにしても最近のメンズ服(の一部)はますますレディースのラインに近づいています。二十代のゲイ男子を見ていると、ローライズのスリムなジーンズに踵の鳴るブーツをよく合わせています。それはもちろん女装ではありませんが、なんだか、あの頃自分がしていた格好の、幸せな結末を見るようです。