今回は、デビューして今年で27年目になる(中途半端・・)中森明菜について書こうと思います。
中森明菜は、私の小学生の頃のアイドルです。明菜一筋だったわけではありません。当時は、聖子もチェッカーズも斉藤由貴も好きでした。でも、聖子か明菜かと言われれば、明菜派でした。歌はテレビやラジオで知ったヒット曲しか知らなくて、その状態のまま私は20歳を過ぎました。なにがきっかけだったのか覚えていませんが、94年に当時の新譜を買ったときに、そのアルバムが格好よくて驚いてしまい、それから新曲が出れば買うようになって、30歳を越えたあたりでようやく昔のアルバムを聞き始めました。これまで、オリジナルアルバムで30枚くらい、ベストはカウントするのが面倒なくらい出ていると思われます。ここ数年でそれらを少しずつ聞いています。年に何回か明菜ばかり聞いている時期があって、今はその時期にあたります。
ただ、コンサートにはまだ一度も行ったことがなく、DVDでその様子を見ているくらいです。ファンを自称していますが、コアなひとたちからすれば隙だらけのファンだと思います。ネット上には、そんなコアな、いまの明菜が好きな人のホームページが幾つかあります。
その中で、一年くらい前に発見してそれ以来熟読しているページがあります。おそらく30代半ばから後半の男性が書いています。明菜についてとにかく書きまくっています。これまで発売されたシングルやアルバムのレビューに、ライブレポート、アイドル時代のテレビ出演の様子について、他のアイドルとの比較、戦後歌謡史の流れからみた明菜や、明菜自身の変化の歴史、レコード会社にプロデューサーに作家陣など、ひとつひとつの歌が作られた背景にまで、その筆は及びます。膨大な知識と軽快な文体に、読むたびに毎回やられています。なぜこれらの文章がお金になっていないのか不思議なくらいです。早く本にしてほしい。彼の文章を読むとまたその歌を聞いてみたくなるのです。
ページは明菜がメインですが、それ以外にも、斉藤由貴や南野陽子、谷山浩子に浅川マキ、沢田研二や加藤登紀子なども取り上げています。歌のページ以外には少女漫画を評した文章もあり、そこでは萩尾望都を中心に、ヤオイについてのテキストもいくつかあります。
最初に彼の文章を読んだ時に、私はなつかしい気持ちになりました。とてもよく読みなれている気がしたのです。思い浮かんだのは、学生のときによく読んでいた橋本治や栗本薫の文体でした。
ホモとヤオイ・・そして、この取り上げられているアイテムたち・・メインは明菜。
私にとても近い、です。このひとはゲイかもしれない、と思いました。じっさい新宿二丁目に来て驚いたのは、中森明菜の歌が現役で街に流れているという事実でした(店で流している私です)。しかもゲイには、時代を問わず女性アイドル好きのなんと多いことか。ウィンクからパフュームまで、毎晩のようにゲイバーでは振り付きでカラオケされています。アキバ系の男子とすでに繋がっているようです。メイド喫茶の流れから、学園男子喫茶が出てきたように、ゲイもノンケも同時代に生きているのだな、となんだかしみじみします。
ともあれ、彼もゲイかな、と思っていたら、日記で、ゲイではなくヤオイを愛するノンケ男子だと、書いてありました。そして、ヤオイはボーイズラブでなくてはいけないらしく、彼自身も作品を書いているのだそうです。腐男子・・そんなものは見たことがない、と書きながら、自分のことをそうとしか言えない、とも。
ますます近いかもしれない、といっしゅん身を委ねかけましたが、すごく似ているけどぜんぜん違う場所にいるんだわ、と思い直しました。彼はオカマではない。
ノンケ、ゲイ、腐男子、オカマ・・、男子のこんな区分けが、いったいなんの役に立つのかよくわかりませんが、まだこだわっています。
20代の頃に、私は明菜になりたいと思っていた、と友人に言ったら大ウケされたことを思い出しました。ホームページの人は明菜にセクシュアルな視点をお持ちです。明菜にエロを感じ、時に女王だと賛辞します。私は歌を聞くとすぐに一体化を試みるので、そこがオカマである証拠のような気がするのです。って、べつにそんな証拠はいりませんが、二丁目で出会う明菜ファンの人にも同じものを感じます。もっと例えれば、私は高校生の頃、竹宮恵子の「風と木の詩」という漫画の登場人物、ジルベールに一体化していました。先日よしながふみさんという人の対談集を読んでいたら、それは「ジルベールという性別なのだ」と書かれていました。(「あのひととここだけのおしゃべり」、大田出版、2007)
私の中の「オカマ」、あるいは「ジルベール」(言いすぎ)は、明菜に何を重ねているのでしょう。
性的身体というものがあるとするなら、それはたぶん、ぜんぶ丸ごと社会に肯定されるか、完全に放っておかれるかしないと幸福な状態にならないような気がします。けれどそれこそ夢物語で、現実は、一部の男子以外にはとても厳しい。そこから、オタクやオカマが生まれてくるのだと思います。明菜や聖子は、かつてのトップアイドルだったという特殊な環境から、完全に出てしまうことを、今もしていません。そこが、女子だけれど女子じゃないような状況を生み出していて、勝手にオタクやオカマな男子の共感を呼んでしまっているのかもしれません。
先日、家に遊びに来ていた19歳女子に、去年の明菜のコンサートのDVDを見せてみました。なぜだか自分でも理由はよくわかりません。
「この人、知ってる?」と聞いてみます。首を横に振ります。さらに、「どう思う?」と聞きました。感想は一言、「ほそい!」でした。