シフトノブに手をかける私の手にWの手が重なる。前方への視線を変えないまま私はまたあの幻を見る。
助手席にはT。カーステレオからは二人の思い出の曲が流れている。1秒1秒の中にあらゆる幸せが充満し、私の心を満たしていく。そうあれは遠い日の幻・・・・。そしてその幻はグニャグニャと変形してもう一つの幻を私に見せる。そこに映るはTとKの姿だった。
私への好意を積極的に表現するWの姿を見て、私ははじめて求愛ダンスを贈られるメスクジャクの気持ちがわかったような気がした。手を握る、肩に頭をのせる、腕に手を回す・・・。車内という二人だけの空間の中でのWはオスクジャクのように大きく羽を広げた。心の準備がない時にいきなり求愛ダンスを始められるのは体力を消耗するものだ。『あの~まだ求愛ダンス観る支度できていないんですけど・・・』そんな声はオスクジャクには届かない。目の前で繰り広げられるダンスをただ見るしかないのだ。『へぇ~、大きな羽だなぁ。』『その羽をどうやってしまうんだろう。』私はWからのアプローチを冷静に見つめていた。
しかし一方で、Wのアプローチは私ととって脅威だった。Wの行動がTとの記憶を呼び覚ますのだった。そしてTに向けたような情熱をWに向けられないことに気がついた時、私はTを失ったことの大きさに打ちのめされた。
それでも一人ではいられない・・・
Tを思い出さぬよう、ほぼ毎日、私は学校からWの家へと向った。
Wの家は4人家族だった。入院中だった母親をのぞく3人が、団地の小さな部屋で暮らしていた。娘でさえ何の仕事をしているのかわからない朝方帰ってくる父親、そしてシンナー中毒で歯が欠けている弟。夜には顔を合わすことがない二人とは会うのは朝ごはんだけ。
Wの弟は私にやけになついていた。免許取立てで車雑誌に夢中だった私に弟はよく話しかけてきた。
「ねぇアンティルさん、スーフラって早いの?」
歯がないために“スープラ”が“スーフラ”になる。
「そうだね、MR2よりすごいらしいよ。」
車に憧れる中学生の興味は私の車知識へと注がれる。
「この前さ、レンタカーでCRX乗ったんだけど、走り出しがすごくてびっくりしたよ。」
「へぇ~乗ってみたいな・・・」
その翌朝、Wの元に警察から電話がかかってきた。弟の身柄を確保しているという。そう、車を盗もうとしたのだ。
W「もう、やだ!こんな家!!」
警察から帰ってきたWは私の胸の中でワンワンと泣いていた。Wの涙が私の胸を濡らす。しかしその涙はどうしても私のまんこには届かない。
『Wのことをほっとけない。でもWが求めるような気持ちにはなれない。
いっそ好きになれたらいいのに・・・』
日に日に深くなる関係の中で、私の心だけが置いてきぼりになっていっくのを感じていた。