Tとの別れとちょうど同時に、私は一人暮らしを始めた。長年住み慣れた家から電車で1時間ほどの田舎町に父、母、姉は私を引っ越して行ったのだ。娘を残し、笑顔で新居へと向った母の顔が、私と暮らす辛さを何よりも物語っていた。ガランとした部屋の中に残ったのは私の荷物と、飼い猫のミンミンだった。
ミンミンは小学校3年生の時に拾ってきたオス猫だ。
白衣を着た男達が置いていったダンボールの中に捨てられていた茶色と白のトラ猫、ミンミン。ミンミンと私は一番の親友でライバルで、そしてこの頃始めた柔道の練習相手だった。“えいやっ!”私の投げ技を受けてクルクルとカラダを回転させるミンミンとの生活は楽しかった。見事な着地をみせるミンミンと私は、大五郎とにゃんこ先生のように柔の道を進んでいった。そのせいか、ミンミンの性格はちょっとおかしくなってしまった。戦うことが愛情表現だと認識してしまったのだ。“イイコイイコ”なんて大嫌い。頭を撫でようとするとその手めがけ噛み付いてくる。その姿はまるで刑事犬カールだった。教官の大きな手袋めがけて噛み付き、「よし!」というまで離さない刑事犬。しかしミンミンは、刑事犬のように「やめろ」と言っても離してはくれない。ミンミンの前に手のひらを差し出すということは試合開始の合図なのだ。練習相手のはずだったミンミンと私は、何の運命のいたずらか、顔を合わせば戦いを挑むライバルとなっていった。
ミンミンの威力は引越しの時にも大いに発揮された。留守中、鍵を預けた引越し屋さんが家に入ろうとした時、ミンミンはその男達の足に思いっきり噛みつき怪我をさせたのだ。玄関から入ろうとするとガブッ!用心してミンミンを払いのけ玄関を突破してもジッと両手がふさがるのを待ってガブッ!その、あまりに恐ろしい姿におののいたその人は、涙声で母に電話をしてきたという。
「猫がじゃまして作業ができないんです。」
翌日、ミンミンは新居に運ばれていった。
私の新居は、実家から10分ほど歩いた所にある6畳一間のワンルーム。私の荷物だけになった実家から一人で引っ越しをした。トラックもなければ人出もない。私は自転車と台車で荷物を運んだ。タンスや机を台車に乗せてゴロゴロゴロ。クロネコヤマトのお兄さんのように町中に音を立てながら、一人で台車を操る。4F、エレベーターなしの建物からベットマットを命がけで運び出す。真剣な顔で、むき出しの家財道具を台車で運ぶ私に近所の人が窓を開けて覗いていたっけ。背丈以上の荷物は台車。そしてそれ以外は自転車で運んだ。
私にはある性分がある。それは苦しいことはいっぺんに済ませるという性分だ。
例えば車でのスキー旅行の帰り、スキーとスキー靴と大きなカバンとお土産の入ったビニール袋があったとする。その荷物を部屋に上げる時、どんなに指がちぎれそうになっても、総重量は自分の体重ほどになっていたとしても、私は1回、もしくは出来うる最小限の行き来で済ませないと気がすまない。そしてその性分は私の身体能力を限界まで引き上げる役割を果たした。
右手に本棚。左ハンドルにはハンガーにかけた洋服数十着、荷台にはダンボール4箱、口には紙袋。私はサーカスの曲芸師のように絶妙なバランスをとって自転車をこぐことに成功した。人の底力は底知れない。意志は力を超えるのだ。
無謀な性分がゆえに私は自転車と台車での引越し成し遂げた。
運び込まれた家具は、引越しが決まった秋から少しずつ買い揃えたお気に入りの家具。モノトーンで統一された80年代後半の流行のデザインはTとの過ごす空間をイメージして統一されていた。Tが好きそうな黒いサイドボード、Tと共に寝られるセミダブルのベッド、Tが好きなNYの夜景を写したポスター、T・・・・しかしその部屋にTだけがいなかった。Tが喜びそうなものであふれたモノトーンの世界が私の孤独を深めてく。
『帰りたくない・・・』
お金も気にせず、親の目を盗むこともなく、声を出してセックスできる夢のような場所を手に入れたというのに・・・・。
私の一人暮らしは悲しみと共に幕を開けたのである。