私は酢豚が大好きだ。初めて小学校の給食で酢豚を食べてから、これまでに何百回『酢豚を食べたい』と思ったことだろう。他にも好きな食べ物はある。
寿司とカツ丼だ。しかし、この3つを並べてみると酢豚だけが異色の存在だ。酢豚以外は、おかずとご飯を共に食す種のものである。そう、酢豚だけが違う。酢豚は自立しているのだ。ご飯に酢豚を軽くのせて共に食べるのは大好きだけれど、ご飯がないからといって成立しないものではない。
これまでに数多くの酢豚と出会ってきた。カリカリの酢豚、プニュプニュの酢豚、酢のきいている酢豚、甘~い酢豚。酢豚はいつも私の頭の回りを周っていた。毎日食べるほど親しい仲ではないが、定期的に食べていないと気になる存在だった。いつ食べても変わらない酢豚は、何年も会っていないのに変わらず話しができる友のような存在だ。酢豚は信用できる友なのだ。そして今日、いつも心と胃を暖めてくれる酢豚が姿を変えて現われた。
月末でお金のない私は210円のサンドイッチでも食べようかと、ランチ時で賑わう弁当屋さんに入った。安くて美味しいと評判の弁当屋だ。入り口を入って右側がパンコーナー。正面には20種類近くの弁当が山済みになっている。
込み合うレジの前にシーチキン&タマゴサンドを手にして並んでいた時、私に見慣れた2文字が飛び込んできた。
“酢豚”
しかしどこかが違う、なんだかおかしい?!その二文字の後にもう一文字が続く・・・
“酢豚丼”
『!!酢豚丼だって?!』
私は軽くパニックになった。
『酢豚丼、酢豚丼、酢豚丼・・・・・・』
38年間生きてきて、初めて目にした酢豚丼。私は冷静になろうと呼吸を整えた。
『はっはっはっ。ご飯の上に酢豚。いや待てよ、酢豚のあのタレをご飯につけて食べる時の美味しさが常に味わえるということか?!えっ!!それってすごくはないか?!!』
私はパニック状態から興奮状態へと変わり酢豚丼を探した。
『あっ!あった!!』
天津丼のように酢豚がご飯の上にのっている。確かにそれは見慣れた友の姿だった。しかも400円。
「これやめて、酢豚丼にします!」
私は生まれて初めて酢豚丼を買った。揺れる袋に入った酢豚丼を気にしながら、私は秋の街を歩く。斜めになってこぼれてしまわないか心配になって歩くのを止めては進み、また止まる。そしてついに蓋を開けた。嗅ぎ慣れた酢豚の香り。しかしどこか寂しいそうな酢豚。『それはきっと肉が2切れしか入っていないからだ。』と、心で話しながら割り箸を割った。パキッ。モグモグ・・・・
酢豚丼となった酢豚が口の中で語りかけてきた。
酢豚「酢豚は酢豚・・・。」
お昼から12時間経った今でも、まだ口の中でぎこちない酢豚丼の味が残っている。確かに食べ慣れた酢豚なのに、いつものような味わいを失った酢豚。この時、私はなぜこんなにも酢豚が好きなのかわかったような気がした。
酢豚は“酢豚”としてご飯と共に食べる時は美味しい。しかし、ご飯と共に一つの食べ物として生きることを強いられた時、酢豚は酢豚丼として己を変えられないあまりに魅力を失う。自分で入られなくなるのだ。
酢豚は酢豚。それは“オトコ”なのか“オンナ”なのかという選択の中で生きることができない私の生き方と似ていた。私は私。酢豚は酢豚。
私は今日また酢豚を好きになった。