「わたしだけど」
それは何よりも待ちわびていた6文字。
「私だけど」
それは私をこの世に蘇らせる儀式のような言葉。
「私だけど・・・・」
私はその言葉を何よりも欲していたのだ。
久しぶりのTからの夜明けの電話。
私とTにとって夜明けの電話は特別な意味を持っていた。
夜明けの電話はTが学校で会うまで待てないと私を呼ぶ合図でもあり、どうしても今セックスをしたいという時の合図でもあった。
欲望電話のその源に、私への渇望が見え隠れするその電話は幸せの象徴だった。始発でTの家に向かい、駅の近くのビルの片隅でひと時のセックスをしていたあの頃。それだけのために私はジョギングシューズとウェアを買った。始発で向かい、30分ほどのセックスをして家に帰る頃には、もう朝の身支度を始めている親への言い訳に使うためだ。
いつTから呼び出されてもいいように、私は数週間に1回、ジョギングをし、夜明けの密会の時にはジョギングウェアを着て出かけ戻ってきた。私にはほど遠い“ジョギング”という健全な行為を喜ぶ母の顔を見るたび、心がズキッ!と疼いた。
久々の電話が夜明けの電話であることに私は喜びを隠せなかった。
しかしかける言葉がない
「・・・・・・・」
Kとのことも、私を無視したTの態度も忘れてしまうほど喜ぶ私が、私の言葉を奪う。
『電話待ってたよ。』
『会いたかったよ。』
『やっぱり好きでたまらないよ。』
・・・・・
私の心から聞こえてくるのは歓喜の声ばかり。しかしあんなことがあった後、その言葉を発することはKを好きなTを受け入れることになる。
『どうすればいいんだ。』
しばらくの無言の後。私はどうでもいいようなことを口にした。
「そっちは雨降ってる?」
「うん。」
ベランダを打ちつける雨の響きが鳴り響く電話の中で、私はようやく一つ言葉を見つける。しかしもう次の言葉が見つからない。
何から話せばいいのか?Kのことはどうする?会いたい!もう一度会いたい!!
「・・・・・」
心の中で湧き上がる言葉の多さに反比例するように、長い沈黙が静かに流れていった。
「あのね・・・・」
鳥の声が聞こえ始めた頃。ようやくTが話を切り出した。
「なに・・・」
「あのね私実は、」
Tが何かを話し始めようとした時、その背後で大きな音が私の耳に飛び込んできた。
バタン(扉を閉める音)
Tの母「T、もう起きたの。こんな時間から電話?!Kくんなの?」
ガチャ(電話を切る音)
ツーツーツー
喜びの頂上からまっ逆さまに落ちた私には、もう涙さえ残っていなかった。