8月15日、終戦記念日。今日私は悲しみの中で朝を迎えた。
“戦争童話 ふたつの胡桃”。現代に生きる主人公が、タイムスリップして昭和20年3月7日の東京にタイムスリップしてしまう物語(アニメ)である。下町を火の海とかした東京大空襲までの3日間、主人公はかけがえのない親友をえ、そして戦火の東京で死と直面した。
以前、小泉元首相の靖国参拝について知人と討論になったことがある。
知「国のために死をもって戦った霊に、国が敬意を払うことは当たり前だよ。」
この言葉を聞いた時、私は怒りにも似た感情を抑えることができなかった。
“死をもって戦った” “敬意”
私の怒りの矛先はこの言葉の中にあった。
誰によって戦わされたのか、何のために誰のために戦ったのか。知人の言葉の中にその答えはなかったからだ。爽やかに英霊への敬意を主張する知人。しかしその顔を変える言葉を私は持合せていなかった。
『あの時に言いたかったことは、このことだったんだ!』
テレビを誰かの肩を両手で掴み、抗議するようにガタガタと揺らす私。エンデンィングテーマを聞きながら思わず言葉が漏れた。『怖かったろうにね。痛かったろうにね。無念だったろうにね。』
私の頬に流れる涙はあの戦争で亡くなった人に向けて流れていく。
『少しでも成仏できますように。』
私は両手を合わせた。
戦争で亡くなった人達に手を合わせることに何の疑問があるだろうか。しかし私はその命を使って戦いを起こした男達を許すことができない。
そして自分たちの“主義”をまっとうするために、無数の亡骸を利用してその参拝の正当性を訴える男達を無視できない。なぜ死ななきゃならなかったのか。何を守るために死んだのか。そのことを考えると私は悔しくてたまらなくなる。
11時00分。歯をみがき、おしゃれをして私はいつものように仕事に向かう。私の頭の中で今日のスケジュールが張り出される。
『あれもやらなきゃ、これも終わってない。』
8月15日はもはや普通の水曜日となっていた。
12時00分。私は会社へ向かって自転車をこいでいた。長くキツイ上り坂。その場所は靖国神社と、今まさに全国戦没者追悼式が行われている日本武道館の間だった。靖国神社の中で、黙祷を捧げる人たちの頭が見える。参拝者は意外に少ない。たまたまこの日、この時間にこの場所に居合わせた不思議。そんなことをぼーっと考えているうちに、今朝観たドラマがリプレイされ始めた。
親を焼き殺された人。爆風で吹き飛ばされた友達。
『私はここで黙祷すべきだろうか・・・。』
私は自転車を止め、皆が見つめる社を眺めていた。そんな時、悶々とした頭を覚ますような声が聞こえてきたのだ。
「ふざけんじゃねぇ~おまえら何のための警備なんだよ!!」
「こんなに街宣カーがあるっていうのに取りしまらねぇで、なんで俺のバイクだけ切符切るんだよ!」
警官6人、護送車の前で何かの配達をしているらしき男がわめいている。
どうやら駐車禁止の所にバイクを置いて警官に注意されたらしい。
言葉を発さない警官に囲まれブチ切れている。
私は吸い寄せられるように、社に向いていたカラダをその事件現場へと向けて歩き出した。男が言うとおり、駐車禁止の路上をものすごい数の街宣カーが占拠している。しかし、その車を駐車違反を正す警官はいない。
「やるならこの街宣カーもやれよ!!」
男の怒りは止まることなくエキサイティングしている。
ミンミンミンミー(蝉)
私は、その男の声と黙祷を続ける人達を背に自転車を転がした。
空は青々と輝いていた。ダクダクと汗を流しながら進む私に気持ちい風が吹いてきた。遠い空から吹いてきたような一風の風。その風が、あの時代に死んでいった人達がまだ笑って生きていられた時代から吹いてきたように思えて、私は泣きそうになった。
『安らかに眠ってください。』
私は心の中で手を合わせた。
皇居へと続く木々はいつものように揺れていた。