このコラムがマンガ家、坂井恵理さんの手によって月刊誌“本当にあった笑える話”(ぶんか社)でマンガ化されて1年になる。タイトルは“腕毛放浪記”。白黒の線の中で動く私。コマの中でTと過ごす私。毎月送られてくる作品を読むたびに、私は自分が主人公となってマンガに登場している不思議を味わっている。
私の人生はきまぐれなすごろくみたいだ。
私の日課はサイコロ振り。毎日毎日私はサイコロを振り、ゴールに向ってコマを進めていく。
競う相手がいない気楽なすごろくに、私はマイペースに進んだり止まったりを繰り返す。淡々とした日々の中で、私は時折自分が“すごろくのコマ”であることを忘れてしまう。そんな時だ。自分が“すごろく”の上に生きていることを思い知らされるのは。サイコロが突然私を見知らぬコマへとワープさせる瞬間、私は淡々とは生きられない自分を思い知る。
“アンティル、給料が1日差し押さえられる”
“アンティル公園で遊んでいて噴水に落ちる。落ちたひょうしに噴水の支柱が肺に刺さり1ヶ月休み”
“誤った捜査により危うく書類送検されそうになる”
私はすごろくの中に生きるコマ。自由に生きている“気”になっていた私に、サイコロは己の存在を示すように変わった体験を課すのだ。もちろん、悪いことばかりじゃない。
“アンティル、劇場の芝居の演出家を任される。”
“飛行機(海外)で隣り合わせた人と意気投合し、たまたまお金持ちだったその人に、夢のような接待を受ける。”
サイコロは、今となっては夢の中の出来事だったのではないだろうかと思うほどの貴重で珍しい体験も私に与えてきた。北原編集長は「アンティルの人生はフォレストガンプみたいだね」と言う。珍事件にそれと気づかず巻き込まれることが、私の場合、どうやら多いみたいなのだ。
“腕毛放浪記”(マンガ化されたこの作品のタイトルです。)もその一つ。
私にとっては夢のような出来事である。
“坂井恵理さん現る!アンティル、マンガの主人公になりみんなに笑われる。”
それは“うれしいコマ”の出現である。
しかし今日私は、そのコマの先にはまだ落とし穴があることを知ってしまったのだ。
私は今日そのコマにたどり着いた。
“アンティル、真似される?!”
え? 私が? 今発売中の祥伝社の人気マンガ雑誌“フィール・ヤング”で連載されている南Q太さんの作品「スロウ」が、このコラムで紹介されたストーリーや“腕毛放浪記”と酷似しているという情報が、今日、私の耳に入ったのだ。というより、アンティルの漫画家は南Q太さんに頼んだのか、とも言われた。
「ちがうよー。でも、そんなに似てるって、まさか、盗作!? ハハハハハー」
ふざけながら、友人と本屋に向いフィール・ヤングを立ち読みする私。数秒後、私は握り締めるように本を掴んでレジに向っていた。
オンナ同士の恋愛とセックスが描かれている「スロウ」という作品は、あまりにこのコラムの中で書いてきたエピソードに似ていた。そして坂井さんによって描かれたアンティルとTの描写に近いのだ。セックスをするためにTの家に潜り込もうと建物の一角に潜み、明け方にTの家を抜け出す主人公。そのために学校ではいつも寝ている主人公。このコラムで描いてきたTの性格に似た女子が、男と共にいるところを見て嘆く主人公に冷たくする様子・・・
たまたま同じような話になったと思いたくとも、具体的なエピソードの羅列がまったく同じなのをみると、自分の体験がどこかで全く知らない人にのぞきみされているような不気味な気分を味わう。
そして作品の中に登場する主人公の呟きを呼んで私は言葉を失った。
“私の世界の中心は小春(女子の名前)だった。”
・・・パクリ!?
一緒にいた友達も唖然としている。
「まさかねぇ・・・・・似ているけれどねぇ・・・でもねぇ・・・まさかねぇ・・・・」
読みようによっては違う。でも、エピソードはすべて同じ。まさか・・・ねぇ・・・。無言でそれぞれの家に帰った。今日は忙しくもなかったのに、家に帰ると、とても疲れていることに気がついた。
新たな試練が始まろうとしているんだろうか。淡々とすごろくを続けることはできないんだろうか。
私のすごろくにはどんなストーリーが待っているのだろうか。今回が連載1回目だという「スロウ」。
みなさんも読んでみてください。
南Q太さんの物語は、ただの「よくある話」なんでしょうか。
私の考えすぎなんでしょうか。
次のコマへ向けてサイコロを握り締めているアンティルより。