初めていったWの家は鬱蒼とした森のようだった。
誰もいない闇の中でも生きるものの気配だけがその場に深く残る夜の森。脱ぎ捨てられた洋服や食べかけのカップラーメンが、本当の人間よりもっと色濃く人の匂いを漂わせ、時間に置き去りにされた残骸のように散らばっていた。その風景が異様に見えれば見えるほど、私はその中にいる自分の不思議を感じずにはいられなかった。
『なぜここにいるのだろう。』
私の時間はWの家と同じように止まっていた。Tと別れたあの夜のまま進まず時間の闇を漂っていた。時間と共に希望を失くした私の心は、Tとの別れを嘆く以外に何の機能も持たない。私の心は悲しく生々しい匂いだけを放ち続けるただの感情の肉塊。私の存在理由などもうどこにもない。Wの家で“ここにいる不思議”を感じながらも居続けるられていることは、どんなものも私の心に入ることができないということの表れでもあった。
T以外、私に悲しみも怒りも喜びも恐れも与えることができないという事実。そして私の意志など関係なく運命は進んでいくという真実が私がここにいる理由を教えてくれた。
「何か飲む?」
髪を結びながら台所に向うWの背中を見ながら、私はフーと頭上に風が吹いたのを感じていた。
「うん。冷たいものならなんでも。」
その風はTへの想いで固まった心と共に、新たな場所へと私んでいった。運命という支配者だけが知っているある場所に向って。
夜12時。Wの家は誰も帰ってくる気配がなかった。
「今日はみんな帰ってこないの?」
「父親も弟もどこに行ったのかわからない。うちはみんなバラバラだから。」
「へぇーお母さんは?」
「お母さんは入院してるんだぁ」
Wは淡々と話しながら布団を引いていた。
「はいパジャマ。」
私はバリバリ(胸の膨らみを隠すコルセット)をしたままWのTシャツに着替えた。
「じゃあ、電気消すね。」
私はドキドキしながら1組だけの布団に後から入っていった。私の枕にかかるWの髪をよけるように布団の際に上向きで横たわる。それでもWがあまりに近い。天井に吊るされ揺れる照明器具を見つめながら私はWとの距離を測りかねる。その時だった。Wが私の方向へ寝返りをうった。
とっさに目をつぶった私は寝たふりをして背中を向けた。バクバクと動く鼓動を察しられないように私は思いっきり猫背になる。
洗い立てのシャンプーの匂いと共に、Wの手が私の背中に回されたのそれから数分後のことだった。