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私はアンティル vol.83 イチゴ事件その22 池の底の団地

アンティル2007.06.14

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知らない街から知らない街へ向う電車の座席に座りながら、私はぼんやりと窓の外を眺めながめていた。

『私はいったいどこへ向おうとしているんだろう。』

ガタガタと揺れる車内で私の頭の中のスクリーンは大きな葉っぱを映し出していた。私は池に浮かぶその葉に乗っている。根のない葉は魚が口を出しては揺れ、鳥が降り立っては揺れ、ただプカプカと浮いている。自らの流れを持たないその池は私の人生のように思えた。

「休みの時は何をしてるの?」
Wの声で私は現実に引き戻された
「(ヒソヒソ声で)ネテル」
聞こえないくらい小さな声で答える私にWは怪訝な顔を向ける
「(ヒソヒソ声で)ネ・テ・ル」

電車の中で声を出したのはいったいどのくらいぶりだろう。
声帯男化計画がまだ完璧ではなかったその頃、私は人前で声を出すことを極力避けていた。私の性別に興味を示し、正解を出そうとする人達は私が話すのを待っていたし、声を聞いて観察が始まるのが常だったからだ。特に電車では細心の注意が必要だった。一度それが始まると車両中に噂が広まり、逃げ場所のない私は次の駅までその視線に耐えなければならい。だからTといてもけして電車の中では話すことはなかった。それが私の日常。しかしWにとってそれは想像することすら出来ない別世界だった。

「音楽とか好きなの?」
「・・・・・・」
「ねぇ・・・」

無邪気に話かけるW。
私はWを無視するように窓枠に肘をついて目をつぶった。
『私に興味を示すこの人は私のことを何も知らない。』
そのことに少しほっとしている自分が不思議だった。
大きな川を3つ越えた所その駅はあった。
駅前には大きなロータリーがあり、見たことがない色のバスが止まっていた。

「今度はあのバスに乗るのよ」
Wが指差す方向に私は歩き出した。
Wの家は団地だった。
“23”
建物に書かれた番号がその団地の大きさを物語っている。
「今日は誰もいないの」
そう言って階段を上がるWの背中を見ながら、私は初めてWが何人家族でどんな家庭で育ったのか知らないことに気がついた。
「お邪魔します。」
玄関には男物のスニーカーがごちゃごちゃに転がっている。父親以外男がいなかった私の家ではありえない光景だ。食卓の上に置かれた雑誌の中では巨乳モデルが上目使いで微笑んでいた。
『なんだここは!』
私はこの時はじめてここにいる自分を疑った。
「あのさぁ、何人家族なの?」
「4人。両親と弟。」
「へぇ」

誰もいない家の一番奥にある部屋にWは一直線に入っていった。電気をつける音と共にWの部屋が私の前に現われる。知らない街にある団地の一室。香水の瓶が並ぶ棚に白い猫がいる部屋。昨日まで名前すら薄覚えだった人の住むその部屋の入り口に立ちながら、私はあの葉っぱを思いだしていた。
“ピチャ”
私を招くWの顔が私には水面に顔を出す魚の顔に見えた。流れのない池のようなその部屋にたたずみながら、私は自分の意志など何の意味もないと囁く自分の声を聞いていた。 

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アンティル

アンティル(あんてぃる)

ラブローター命のFTM。
数年前「性同一性障害」のことを新聞で読み、「私って、コレかも」と思い、新聞を手に埼玉医大に行くが、「ジェンダー」も「FTM」という言葉も知らず、医者に「もっと勉強してきなさい」と追い返される。「自分のことなのに・・・どうして勉強しなくちゃいけないの?」とモヤモヤした気持ちを抱えながら、FTMのことを勉強。 二丁目は大好きだったが、「女らしくない」自分の居場所はレズビアン仲間たちの中にもないように感じていた。「性同一性障害」と自認し、子宮摘出手術&ホルモン治療を受ける。
エッセーは「これって本当にあったこと?」 とよく聞かれますが、全て・・・実話です!。2005年~ぶんか社の「本当にあった笑える話 ピンキー」で、マンガ家坂井恵理さんがマンガ化! 

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