先日、いつも飲みに行っているお店の、二十五周年パーティーに参加しました。
三年前に二丁目に来て、真っ先にこのお店へ飲みに行って、それ以来毎週のように通っていますが、まだまだ私の知らないお客さんがたくさんいます。二十五年って、それくらい長いのね、と改めて思いました。
パーティーは、近くのレストランを貸しきって、そこに百二十人あまりの人たちが集まり、盛大に行われました。立食形式で、年代も様々なオシャレさんたちが、飲み物を片手に歓談しています。女性の姿もあるけど男性が圧倒的に多い(それはゲイバーだから)とか、あ、あの子、可愛い、と周りを見渡していたら気が付きました。
女装している人がいない。
意外でした。普段のお店の雰囲気から、そんなに多くはないだろうとは思っていましたが、一人もいないとは思いませんでした(そのあとドラァグ・ショウがあったので、その方の登場で一人はカウントされましたが)。
これだったら、女装するのもアリだったかも・・、と少し思いました。
二丁目に来る前の私はイベントがあるとなにかと女装をしていたようなオカマでした。
ところが二丁目にやってきたら、急激に女装したい気持ちがなくなってしまいました。それは、二丁目では、女装が珍しいことではなかったからでした。
ノンケの職場や友人たちの間で女装をすることは、とても面白いことでした。周囲の人も見慣れているわけではないので驚いてくれるし、なにより普段偉そうにしているノンケのおっさんたちが、本気で怖がったりする姿が快感でした。
二丁目のバーでは、若い店子の男子たちが、自分の誕生日やお店の周年パーティーで、しょっちゅうドレスを来て通りを歩いています。女装が趣味のノンケの男性も歩いています。クラブイベントがあると女の子も女装をします(一応ぜんぶ「女装」の意味は違うと思うのですが、その考察は割愛します)。
二十五年も歴史があるお店のパーティーで、海千山千のオカマちゃんたちのなかで、新参者の私が安い(低予算の、ありがちな)女装をしたところで、誰が驚きを持って振り向いてくれましょう。
女装が珍しいことではないことと、むしろハズしてしまう可能性が高いことを想像して、私は今回どんな格好をしていこうか考える際に、癖になっていた、メイクしてドレスアップする企画を、頭の中から追い出したのでした。
そこで私は、お店でいつも会う、お洒落リーマンさんの助けを借りて、生まれて初めてスーツを買いました。ネクタイもシャツも靴も持っていなかったので、ぜんぶ揃えてみました。それはとても楽しい作業でした。人様のパーティーで思い切り遊ばせてもらうって、本当に楽しい。パーティーでは、その姿がじっさいウケたりもしたので、さらに幸せな気持ちになりました。
その昔、東郷健さんという関西のオカマちゃんがオカマ党をつくって政治の世界に出て来た頃、当時小中学生だったゲイの人たちで、
「男を好きだと人に言ったら、ああいう人のように思われるのか」
と絶望を覚えた人が多いと聞きます。それは東郷さんが「イロモノ」のようにメディアに登場してきたから、だったそうです。じっさい私も、ここのお店で飲んでいるときにそういう話を聞いていました。
「オカマは、奇抜な格好を、言動をする人たちだ」という世間の思い込みの中で生きていたくない人たちが、今日のこのパーティーに集っているのかもしれない、と思いました。というか、ゲイバーというコミュニティー自体が、そこで成り立ってきた部分も大きいのかもしれません。
そんななかで、一人、宇崎竜童(あるいは内田裕也)のような、ロッカーなオジさまがいました。金髪のリーゼントに紫のスカジャン、細身のジーンズに先の尖ったエナメルの靴。「オレキメテキタゼ!」といった感じです。とてもよくお似合いで、奇抜に見えますが、それはその方の正装のように思いました。
セクシュアリティーに過剰に反応しなくてもいい空間は、とても居心地がよく、そこのお店が二十五年も愛されてきたわけと、私がそこのお店を愛しているわけが、わかったような気がしました。