『Tが私を待っている!!』
それは奇跡に近い事実だった。昨日まで、私の上にかかっていた絶望という名の雲を一瞬にして消え去る事実。数日前まで私を避け、Kと熱い視線を交わしていたTの行動に私の心が動き出す。
『もう二度と私とTの日々は戻らないと思っていたのに・・・。』
頭の中では映画「卒業」のシーンが流れ出し、サイモン&ガーファンクルの音楽が鳴り響く。違う人のもとへ行った恋人ともう一度固く結ばれる2人のアップ。気分はすっかりダスフィン・ホフマンだ。最後の別れを告げる担任の声もクラスメイトの視線も無視してあの窓を飛び越えたい衝動を私は必死にこらえた。
『私にとうとう春が来た!』
起立!礼!
号令が終わる頃、すでに私はTの前に立っていた。
「あーここでこれまで何回セックスをしたんだろうね?」
屋上へ続くはずの開かずの扉の前で、私とTは別れを惜しむ声の塊をぼんやりと眺めながら顔を会わせていた。再びセックスできた喜び、そして慣れ親しんだこの場所を離れる切なさが交じり合う。なかなかその場を立ち去ろうとしないTにつられ、私はもう一度Tの手を握る。もう誰の声もしなくなった夕方。
私の目にはどうにも止まらない涙があふれていた。怖かった。Tと毎日会えなくなること。Kとの真実。これからの私。Tと過ごすことが出来ないという恐怖を味わった私にとって、その恐れは前にも増して大きなものとなっていたのだ。
『学校が離れ離れになっても仲良くしていこうね。』
私は喉まで出かかった言葉を何度も飲み込んでただ涙を流すしかなかった。
すっかり感傷ムードに浸ったTと私は、ほとんど言葉を交わすことなく同じ方向へ歩き出した。ます電車に乗って某デパートへ。目指すは女子トイレ。清潔で大きなスペースを持つ個室に入り、いつものように長い時間をそこで過ごす。
時間は夜6時。そこからまた電車に乗り40分。Tの自宅そばにある団地の階段を登り、私は鞄の中から石鹸箱を取り出す。屋上の水道で入念に手を洗った私は、夜景を望めるベストスポットの踊り場で再び慣れ親しんだ時間を過ごした。
それはまるで巡礼だった。私とTのセックス巡礼。この3年間で二人が探し当てた“セックスする場所”を巡り、繰り返した。杖の代わりにコーラの瓶を握りしめながら。(「ちゃぶだいとコーラの瓶」参)
そんな私とTの最後の場所は夜中のラブホテルだった。
家を抜け出し、待ち合わせするあの部屋が、私達の目指す最後の地。すっかり日が落ちた夜空の下で私とTは約束の時間を決める。
「1時にあのホテルの前で。」
もう見ることのない制服姿をぼんやりと見つめながら、私は自宅のアパートの扉を開けるTの後姿をぼんやりと見つめていた。Tは部屋に吸い込まれていくように消えていった。私はTが入っていった扉をいつまでも眺めていた。時間を封じ込められた絵のように、その風景は私の中でいつまでも変化しない。
閉ざされた扉は過ぎていった時間の残像のようだった。
その夜Tは来なかった。