私の一人称は「あたし」です。これを獲得したのは二十歳を過ぎてからでした。それまでは表向きの一人称はありませんでした。中学生くらいまでは、家族には下の名前を使っていたような気がします。日本語の一人称は性自認になります。中学、高校の時分は、「あたし」を使うことなど思いもつきませんでした。「ぼく」も「オレ」も使うのが嫌で、なるべく一人称を使わないように話していたのですが、どうしようもない時は、「オぇ」と意味不明の発音で、「(たぶんそれは)オレ」を選択していました。
それにしてもなぜ、「あたし」になったのかしら。二十代前半の頃に周りにいた、愛すべき女友達の影響かしら。よくわかりませんが、それからとても解放的になったような気がします。男友達からは逆に、「おまえは、あたしあたし、ってうるさい」と言われるくらいに。
ところが、二丁目にやって来たら、職場のオカマちゃんたちがみんな、一人称「自分」で話をしていました。
なにそれ、軍隊なの?
関西から来た私には、他に「自分」の使用方法は二人称以外に思いつきません。そこで私が「あたし」を使った瞬間、私は、「お嬢さん」「お姉さん」「おばさん」という立ち居地になりました。
まあ、いいけど・・なんだか腑に落ちないわね。
と、しばらく違和感を抱えて働いていたら気がつきました。一人称「自分」を使う彼らは、みなそれぞれに「お姉さん」的な要素を持っている。にもかかわらず、「自分」を選択しているのは、「あたし」(ないし「わたし」)を使うと、モテないからだわ!
そうなのです。ゲイ社会では「オネエ(女装)」的要素を出すと、ゲイにモテなくなってしまうのです。
それで猫も杓子も「自分」なのか・・、でも確かに便利かも。
そう思ったりもしましたが、私はけっきょく「自分」を使いませんでした。
それは、なんだかしっくりこないから。仕方がありません。その代わり、モテないという不運は受け止めましょう、という覚悟をするようになりました。
ところが、一人称「あたし」でもモテる時はモテる、ということも次第に起きてきました。それが明確になったのは、今年の初めに飲みにいったお店で、同じ「オネエ(一人称「あたし」)のゲイ男子から、キスをされた時でした。舌も入りました。
そのお店は二丁目の中でもオオバコで、基本的にカラオケ付きのスナック営業ですが、カラオケに自信を持つ客たちが毎晩その声を競うバーでもあります。歌声や振り付けに自信のある客は、中央のスポットライトが照らされた舞台で、その芸を披露できる仕掛けになっています。スモークも出ます。
そこに燦然と現れたのがその「あたし男子」で、工藤静香を、気持ち悪いくらい(賛辞)、大胆な振り付けと裏声で歌い踊りきり、みんなの喝采を浴びていました。しずかちゃんは歌い終わると、ホステスのように私がいるテーブルへ駆け寄ってきました。細い、ちっちゃい、髪と睫毛がカールしている、そんなしずかちゃん。私の目を見て、何度も瞬きをするしずかちゃんに、私が「可愛いわねー」とお姉さんになって褒めていると、ベロチュウされました。そして、私に放った言葉は、「それで、いつ、あたしとセックスするの?」
単なるキス魔だったのかもしれません。ノンケ社会でもいる、酔っぱらったら性別に関わらずにキスでからむ人。たぶんそうだったのだと思います。いや、それでも、「あたし」が「あたし」を・・!
一人称の性自認は、思っていたより、ゆるいのかもしれません。現場ではどうにでもなる、というか。
そんなことを考えていたら、後日、別のお店で隣り合わせになった熟練のオカマちゃんがマスターに、
「あなたは高校生くらいの時は、自分のことを女だと思っていたの? それとも男だった?」と聞かれていました。するとその熟練さんは、
「あたしは、高校生の時は、男子、女子、あたし、って、分けて考えていたから」と、はっきり答えました。
すてき。今、「あたし」が、第三の性別に聞こえたわ。