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このコラムを書き始めてから私は昔の自分に出会うことが多くなった。忘れていた記憶、懐かしい街。その中で生きる私を天の上から私は眺めながらパソコンに向う。地上の私は生きてるだけなのになぜか忙しい。

この風景って何かに似てるなぁ?と、考えていたら、昔やっていたバイトと似ていることに気がついた。(7月6日「哀しいバイト」参考)

ベルトコンベアーに乗って次々とやってくる重い荷物を必死に持ち上げ、天井に伸びる別のベルトコンベアーに載せるあのバイト。5分毎に鳴る5分間の休憩の合図で、私は肩でしていた呼吸を整えながら地面を見つめる。その繰り返しで日給1万円也。

ラブホテル代を稼ぐためのバイトだった。
私は死ぬ間際、この風景を思い出すんじゃないかと思っている。今の私だってきっと20年後の私から見たら、やってきた荷物を天に吸い込まれるようなベルトコンベアーに載せるために必死に動く可笑しな人間なんだろう。
10月10日。私は不思議な体験をした。昔、抱いた感情がまざまざと蘇るように胸をつき私の胸を掻き毟るような経験。ベルトコベアーの前で汗を流す10年前の私のカラダに、すっーと憑依して、遠い昔の生々しい感覚が全身を包みこむような感覚。

“AERA 現代の肖像 原科孝雄”

原科孝雄とは、性同一性障害の治療を始める原動力となった埼玉医大の医師である。当事者なら誰でも一度は聞いたことがある有名人だ。

原科医師の手によって日本で初めて認められた性別適合手術は話題となり、FTM、MTFの存在はメジャーなものへとなっていった。私もその恩恵にあずかった一人だ。まず自分を説明する言葉が激減した。「私は性同一性障害なの。」 それだけで理解が得られるということは、当時の私にとっては夢のような出来事だった。そして、あからさまに嫌悪の言葉を吐く人も減り、それによって磨り減ることも少なくなったことを実感したのも、この時期だ。20年前から考えれば信じられない変化だ。それでも私はこの記事の見出しを見た時に、治療の路を切り開いた医師の花道に、無邪気に紙ふぶきを撒くほど爽快な気分で読めないだろうと思っていた。FTMと言いながらも、「俺は男っす。」と言い切ることも「やっぱり私はオンナ。」と言うことが出来ない私。そんな私にはどうしても言い切れる性別はない。(というか言わなきゃならない場面が嫌でたまらない。)

『もし男と女という色分けがなかったら?』 『私はセクシャリティはホントにFTM?』 と、手術をしてから考え始めた私にとって、原科医師の記事は私をひどく落ち着かなくさせる存在であった。

『そこに書かれている医療の現場は私が歩いてきた道。しかし、この記事を私をナニモノとして読めばいいのだろう?』
それは「男?女なの?」と答えを求めてくる人達を前にした戸惑いと似ている。
しかし、『私が体験したことがあの雑誌に載っている』と思うと、私は気になってしょうがなかった。

夕方の6時。私は降りる駅の一つ手前でAERAを買っていた。
私はホームのベンチで夢中になってAERAを読んでいた。もう何本の電車が通り過ぎたことだろう。私は再び初めから記事を読み返す。“治療を実現するために他の医師を説得する原科医師”“信頼によって結ばれる患者と医師”(実際の記事の文面とは違います)

困っている患者の存在を知り、周囲を説得し、キャリアにも名声にもならないかもしれなかった性同一性障害の治療に翻弄した姿は、私に熱い想いを抱かせた。

「原科先生、アンタは偉い人だね~。」当事者であることも忘れて私は呟く。
「そんなに患者のためにがんばってくれてたんだね。」 ホルモン注射を打っていたお尻に手をやる私。「ビバ!原科先生」
一つの選択肢を切り開いた人の苦労が、私をそう叫ばしていた。
『こんな胸いらない!』 『生理がなかったら・・・』オンナが好きな自分とオンナのカラダを持つ自分の間で悩んできた日々が蘇ってくる。そして手術をした時の痛みと、そんな私を励ましてくれた人達の想いが聞こえてきて私の胸はズキズキと疼きだした。
♪チャリリーン メールの着信音で現実の世界に引き戻された私は時計を見て驚いた。時間は夜の7時。『1時間も同じ記事を読み返していたのか!』 あせって腰を上げながら、私は携帯を広げた。
“母より 今日9時から注目のドラマが放送。”
番組宣伝のような短いメール。めったに届くことがない母からのメール。
そう、母からのメールはいつも決まってあることを伝える。
『そうかぁ。今日あるんだぁ~』
夕飯を簡単に済ませ、私は家路へと急いだ。
(続く)

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アンティル

アンティル(あんてぃる)

ラブローター命のFTM。
数年前「性同一性障害」のことを新聞で読み、「私って、コレかも」と思い、新聞を手に埼玉医大に行くが、「ジェンダー」も「FTM」という言葉も知らず、医者に「もっと勉強してきなさい」と追い返される。「自分のことなのに・・・どうして勉強しなくちゃいけないの?」とモヤモヤした気持ちを抱えながら、FTMのことを勉強。 二丁目は大好きだったが、「女らしくない」自分の居場所はレズビアン仲間たちの中にもないように感じていた。「性同一性障害」と自認し、子宮摘出手術&ホルモン治療を受ける。
エッセーは「これって本当にあったこと?」 とよく聞かれますが、全て・・・実話です!。2005年~ぶんか社の「本当にあった笑える話 ピンキー」で、マンガ家坂井恵理さんがマンガ化! 

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