『なぜ別れなかったのだろう』
Tとの関係を書きながら、私は私に突っ込みを入れていた。
オンナと付き合っている自分を嫌悪しながら私に愛情を抱いていたT。そんなTと別れることができなかった私。好奇の視線と罵声の真っ只中にあっても、私はTとの関係を必死に守ろうとした。オンナが好きな自分でいられる唯一の存在、その人はオンナである私をもっとも否定する相手でもあったのに。
オトコとセックスすることによってオンナとセックスしている自分への嫌悪を拭おうとしたTと、その直後、セックスした私は今もいるのだろうか? 今、私があの時代に引き戻されたら、私はTと別れることが出来るのだろうか?
あの夜から私は一段とオトコ化していった。私から“オンナ”を感じると、発作のように泣き叫び、あの街に行くと言うTを恐れる私が出来ることは、“オトコのよう”になることだった。そして、あの夜からパンツが2枚増えた。
トランクス1枚だけだと私のまんこがTの太ももにあたった時、その柔らかな存在がTに伝わってしまう。濡れたまんこがばれてしまう。まんこが見えてしまうかもしれない。だから私は、トランクスの下に厚くてしっかりとした生地でできたグンゼパンツを履いた。もしトランクスからそのパンツが見えてしまっても、グンゼパンはブリーフのようにも見える。
そして、寝る前にボイストレーニングをすることが日課になった。80年代にヒットした、アーティスト、もんた&ブラザーズのボーカルがハスキーボイスに憧れて土手で大声を張り上げて声をつぶしたというエピソードを思い出した私は、枕に口をあて、毎晩喉を痛めつけた。夜中に「うぉーうぉー」その声に驚いた母と父が恐る恐る階段を上ってきたっけ。
どんな時もあぐらをかくようになった。O脚で、しかもとても股関節が硬い私にとって、あぐらはもっとも居心地の悪い体勢であった。10分も経つと腰がビリビリと痺れてくる。『横に両足を揃えてお尻をペタっとくっつけたい。』毎日が修行だった。
小学校3年生から続けてきた私がもっとも幸せを感じる行為、オナニーをやめた。自分のまんこを触ることが出来なくなったのだ。自分を苦しめる存在まんこ、あってはならないまんこ。悲しい時も、寂しい時もいつも私を癒してくれたまんこを私は裏切った。
私は、まんこをないモノとして無視することを決めた。
それでも初めは欲望に負けて、パンツの上からまんこを触るようなこともあった。しかしオナニーをした翌日、Tは必ず発作を起こした。
『今日のアンティルは顔がオンナみたい!(号泣)』
的中率95パーセントになった日、私は決心をした。
『もうオナニーはしない。』
私が快感を得ることが出来るのは、Tとのセックスだけになっていき、私の欲望はますますセックスに注がれていった。
話はそれるが、これはけっして偶然ではないと、今でも私は思っている。
それは、オナニーをした翌朝、カラダが変化することを私は知っているからだ。肌がスベスベになるのだ。適度な湿度に肌は潤い、赤ん坊のようにキメの細かい顔肌になる。私はこの現象をオナニーをすると女性ホルモンが出て、そのホルモンが肌をキレイにするのだと考えていた。私が初めてホルモンを意識したのはこの時だった。Tは、女性ホルモンを感じ取る嗅覚を持つ人だったのかもしれない。しかし、一つ不思議なことがある。セックスだと肌は変化しないのだ。
動くことによってクリトリスを刺激し、オーガズムに達していた私のセックスは、オナニーと一体どこが違うのだろうか? 自分の手を使わない。ただそれだけである。ホルモンとは不思議である。
オンナが好きなオンナは、精神病院行きと考える人が、まだまだたくさんいた20年前。街を歩くたびに見知らぬ人から好奇の目を浴び、時にはからかわれ、身の危険を感じることもあったあの時代。私はオンナが好きな自分を見失なわぬよう必死だった。
Tを失うことは、世間という大きな大きな闇の中で一人戦いを挑むようなものだと感じていた。怖かった。自分が消えてしまうんじゃないかと恐れていた。
親も友だちも会社も私がオンナであり、オンナが好きだということを知り、理解を示している今、この時から20年前のあの時に引き戻されたら、私はTと別れることができるのだろうか。