私にはFTMの友人がいない。初めてゆっくりFTMの人と話をした夜、『私にはFTMの友人は作れない』と、思った。“自分がオトコである”と言い切ることが出来る“ゆるぎない性”の自己決定を下しているように見えたその人と、揺るぎっぱなしの私の間には大きな溝があるように思えたからだ。
これまでどんな生活をしてきたのか、どんなSEXをしたいか、どんな迷いを抱えているのか、話したいことは頭にいっぱい広がっていたのに、そのどの一つも会話に上げることが出来なかった。
『私は自分が完璧な男であると言い切れない。もしそうでなければ私はFTMですらなかったのか。』FTMと出会ったことで、私は新たな迷いを抱くようになった。そしてしばらく
『FTMの人とは気が合わないなぁ』 などとぼやく日々を送っていた。
そんな時、私はSさんと出会った。
Sさんは、私と同い年のFTMである。ホルモン療法と、性別適合手術をすることを考えていたSさんは、体験者の話しを聞きたいといって、ホルモン注射を打ち、子宮・卵巣の摘出手術と胸の除去手術を受けた私に、友人を通し、会いたいと声をかけてくれた。
Sさんに会う日、私は緊張していた。前回のFTMとの出会いのショックで、気分はすっかり“FTMの劣等生”になっていたからだ。
「ドキドキ、しっかり手術の話をしなければ。 『私はアンティルです。心が男だとは言い切れませんが、どちらかといえばFTMだと思っています。すみません』」
私は心の中で予行練習をしながら、待ち合わせ場所の蕎麦屋ののれんをくぐった。
私の目の前に現れたSさんは、どこか人を和ませる雰囲気のある人だった。その雰囲気に安心した私は、
「隣で寝ていたオヤジがうるさくて、待合室で寝ていた。だから手術するなら個室がいい」
「手術の前の日はやることが多くて大変だからね眠だめしておいたほうがいいよ」
「もうあんな思いをするのはイヤだね。だってね・・」
など、私にとっては大切な教訓だが、なんの役にも立ちそうもない話をSさんに伝えた。
「ワハハハ」
ナミダナミダの私の貴重な体験談は、爆笑体験記として笑い飛ばされ、気がつくと、話題は本題とはずれてセックスの話になっていた。
「どんなセックスがしたい?」
「どんなグッズがあれば楽しいかな?」
「じゃあ、こんなワークショップはどう?」
『そうそうFTMの人とこんな話がしたかったんだ!』
私は時間を忘れてSさんとの会話を楽しんだ。
Sさんには、“FTM=紛れもないオトコだと思っている人” という方程式がない。だから私は安心してSさんと話すことが出来たのだ。
「じゃあまた。」
『こんなFTMもいるんだ。楽しかった。』
迷いっぱなしで、セックス大好き、まんこ舐められるの大歓迎! の、私をさらけ出せるFTMに、この日、私は始めて出会ったのだ。
そのSさんが先日亡くなった。
初めて会った日から2年、会ったのは10回ほどだったが、私にとっては楽しく話すことができる数少ないFTMの知人だった。このコラムも読んでいてくれていた。
『最後に会ったのはいつ?』
『そういえば、ワークショップやろう! って盛り上がったよね?!』
変わらぬ事実を前にしても、私はその訃報をまだ信じることができない。
暖かな笑顔で笑うSさんの顔が私の頭の中ではっきりと生きている。
『なぜ?・・・・』
自分がオンナのカラダを持って生まれ、オンナを好きになり、どうすれば生きやすくなるのかを考えながら30数年暮らしてきたであろうSさん。私も入院したあのベットで、希望を手にしようとしたSさん。
同じじゃないかもしれないが、似たような苦しみを体験し、似たような涙を流したかもしれないSさんに私は何と言葉をかければいいのだろう。
Sさんが亡くなった・・・