どんなに足掻いても変わることがない現実が目の前で起こっている時、私は手足を奪われ、拷問を受けているような気分になる。Tの自転車を、私とTがよく使っていたホテルの前で見つけた時もそうだった。『私が呆然と立ちすくんでいるこの瞬間にも、悪夢のような現実が同時に進行している。』突きつけられた現実よりも、その時を共有していると感じることの方が辛かった。
『どうしよう・・・』居ても立ってもいられなくなり、私はスタンドを立てたまま、Tの自転車にまたがってペダルを必死に漕いでみる。私はあまりに無力である。
Tが見知らぬ男といるであろうホテルの前で、私はTを待つことにした。
ホテルから目を離さない私を怪しむ人達が、振り返りながら何か話している。
時計は7時を回っていた。Tが出てきたら何と言おうか、Tとの関係をどうするのか、これから待っているであろう修羅場を前に考えなければならないことが沢山あるのに、何も考えられない。私はただTを待つという行為に集中していた。
風俗街が賑わいをみせ始める8時頃、とうとうその時がやってきた。
出口からTが背広姿の男に肩を抱きかかえられるようにして出て来たのだ。
その距離5メートル。私を見つけたTは、ここで私が待っているのを知っていたかのように驚きもせず目を合わせた。その目に表情はなかった。二人は駅へ向って歩いていく。恋人同士のように。取り残された私はその場にヘナヘナっっと座り込んでしまった。
“ガーンガーンガーン・・・・”現実の衝撃の強さに打ちのめされ、カラダが壊れていくような感覚が私を支配する。『早くこの場から離れなきゃ』遠くで私が忠告する。重たいカラダを引きずりながら私は駅へ向った。駅の階段を上り、切符売り場で100円玉を探す。その時だった。
「アンティル~ アンティル~」
誰かが私を呼んでいる。とうとう頭がおかしくなったのかと、聞こえないふりをしていると、その声はますます大きくなっていった。
「アンティル、アンティル」
声のする方を振り返ると、そこにはTが立っていた。
Tにとって男とのセックスは、オンナとしかセックスをしたことがない“変態な自分”を捨てる行為だったのだ。しかし同時に、私を必要とする“感情”を捨てられない自分を再発見する行為でもあったらしい。“変態”の呪縛からほんの少し解放されたからこそ、より、自分の感情が“変態”に向っていることを知ったのかもしれない。
その迷いは、電話の時よりも大きくなって私に向かってやってきた。私の時間は、あのホテルの前でTを見た時のまま止まっているというのに。悲しみと戸惑いと嫉妬と無力感に呆然とする私の心は、まだあのホテルにいるのだ。結論の出ない会話。解決策は私が“完全な男”にならなければ手に入れられない。私もTも、自分がどこに向っているのか、何をしたいのか、もうわからなくなっていた。
「さっきのホテルに行ってセックスしたい。」
Tが切羽詰まったような声で言い出した時、時計はすでに9時を回っていた。
アンティル、17歳の5月だった。
(つづく)