この世界から戦争を少しでも少なくするためにはどうすればいいのかと聞かれたら、私はこの世界を男湯にすればいいと答えるだろう。男達が男達に囲まれ、お湯につかる人々の顔はこのうえなく無防備だ。視線の中には自分と風呂しかない。それぞれがオレの世界の主人公となり、無数の世界が干渉することなく、雄大な時間の流れを織りなしている男湯。この場所では他の世界を容認しているのか、他者が存在していることさえも忘れてしまっているのか、誰も他人を気にしていない。みんなが自分の世界にどっぷり浸かっている。私はここで、いとも簡単に無防備になれる男に感心し、攻撃される恐れや、痛みが刻まれている無防備になりきれない自分のカラダを再発見した。
平和で自分以外何も見えていない男達がいる男湯という世界は、私をしだいにリラックスさせた。手術してから数年たった今でも、鏡に映る自分の胸はイタイタしい。乳首を切除し、そこから脂肪を抜き、再び乳首を縫い合わせるといった方式の除去手術を受けた“えぐられた”という表現がぴったりな胸の肉。その中心で、縫い合わせた痕がフランケンシュタインの顔のようにくっきり残っている乳首。それを前にしても男達は誰も興味を示さない。その事に気が付いてから私はほんの少し肩の力を抜いて温泉に浸かることができるようになった。
『“まんこ持ちだ”とバレることはこれから先ないかも。』
男湯に浸かり始めてから半年、私はそう思い始めていた。
気持ちいい風が大きな森の木々を揺らし、鳥達がさえずる北海道の地で、私は温泉に立ち寄った。人もまばらな男湯は、小さなプールほどある内湯と、山の傾斜をなぞるように作られた巨大な露天風呂を楽しむことが出来る場所だった。
大自然のパノラマに包まれ、マイナスイオンで溢れているようなその温泉は、私のカラダと心を解き放ち、私をそれまでの入浴方法では満足できないカラダに導いた。私の入浴方法とは、人目のつかない所を1カ所選び、その場から動くことなくじいっと温泉に浸かり続け、人目を避けるという方法なのだが、この温泉で従来の入浴方法を取るなどナンセンス中のナンセンス。“どん欲にどこまでも気持ちよく!”とばかり私は入浴ポイントを数分毎に変え、アクティブに温泉を楽しんだ。
段々畑のように幾層にわたって作られた露天風呂を一番上から順々に浸かってみる。段が変わるたび変化する風景に私はうっとりする。ちょうど傾斜の真ん中の露天風呂から出て、次の段に移動しようと、階段を下りようとしたその時だった。
私の視界に階段を上ってくるフルちんの40代の男が現れた。いつもなら、男とすれ違う危険をおかすことなく、再び温泉にもぐりところだが、その日は違っていた。まるで大自然の一部と化したように堂々としたエネルギーがカラダ中に満ちあふれていた私は、迷うことなく、悠々と男へ向かって階段を下りていくことを選んだ。ホーホケキョ。ウグイスが鳴いている。私は大きな森を背にし、まんこにタオルをあて、石の階段を一歩一歩進む。そしてちょうど、男と私の距離が1.5メートル位に縮まった時だった。
ツルン! 私は万歳をするような形で足を滑らせ、男の元へ滑り落ちてしまった。男はその瞬間、露わにしていた股間にタオルをあてた。
私は男に見せるために足を開いたかのごとく、両足を開きまんこを見せてしまった。男は表情をこわばらせたまま階段を上って行った。
それまで私の心に燦々と太陽を注いでいた雄大な自然も、どこか悲しげだった。私は、男がいなくなるまで人目のつかない一番下の露天風呂の隅っこで、縮こまっていた。この私の頭の中では、「北の国から」のルルルというテーマソングが鳴り続けていた。 つづく・・・
このコラム、相変わらず「ホントの話なの?」と聞かれることが多いのですが、LPCコラムでもお馴染みの坂井恵理さんの手によって、この春からぶんか社から出版されている「本当にあった笑える話」という雑誌でマンガ化されることになりました。これまでこのコラムで書いてきた話が、どのように絵になるのか、私も楽しみにしているところです。コンビニなどでも売っているそうです。みなさんペコリ。