初めてホルモンを打つ日、私が最も楽しみにしていたのはオナニーだ。
ホルモンを打った日は、これまでになく性欲が強まると証言するFTMは多い。私は、とてつもない性欲の先に、どんなエクスタシーが待っているのか楽しみで、注射を打ったその足でビデオ屋に行って、オナニー用AVを3本借りた。私は、いつ性欲がムラムラと湧き上がるのか、クリトリスの変化に注意深く観察しながらひたすら待った。
「まだかなぁまだかなぁ~」しかしその時はこなかった。
いじらなくても膨張するはずのクリトリスを眺めながら、その夜、私はいつもと何の変わりもないオナニーを楽しんだ。
ホルモン療法によって起こったまず初めの変化は、生理が止まったことだった。
私の場合はホルモンを打ち始めてから1回も生理になっていない。治療から2ヶ月ほど経った頃、顎鬚が生えてきた。私はもともと毛深く、鼻の下に中学生の男子ほどの髭が生えていたので、まずそこから髭が濃くなると読んでいたが、意外にも顎がホルモンに一早く反応した。しかし、この顎鬚。生え方がどうもおかしい。顎の中心には毛が生えず、逆Uの字を描くように、不均等に生えてくる。私がイメージしていたファンッションリーダーたちが生やしているかっこいい髭とは程遠いい代物だった。
3ヶ月を経過する頃になると声が太く低くなり、いつも歌っていた歌がキーが高くて歌えなくなった。声域は極端に狭くなり、高い声を出そうとすると、上から喉に蓋をされたような息苦しさを感じる。そして同時期、クリトリスが大きくなってきた。背中を丸めて、まんこを上に引っ張ると、ちんこのような形をした小指の先ほどのクリトリスが見える。
そのクリトリスは、性的興奮の高まりとともに大きくなり、固くなるのがはっきりわかった。私はそれが面白くて、ますますオナニーをするようになった。そういう意味では、ホルモン療法の影響で性欲が高まったといえるかもしれない。イクとクリトリスがドクンドクンと動く。私は容易に目で見えるようになったクリトリスが面白くて、毎日クリトリスを観察していた。
半年たった頃になると、髭はさらに濃くなり、頬にも髭が生えてくるようになった。
オンナであることを、どんどん想像させにくくする私のカラダ。男化していき、鏡に映る裸の私は、Fカップの胸と髭面の顔を同居させた、奇妙な生き物になっていった。(しりあがり寿作のヒゲのOLをほうふつとさせた。)そして、そんな私の正体を知らない社会は、私を男として受け入れていったのだ。
“社会と同化する”私には馴染みのない体験だった。“私がここにいて当然”“誰もあなたの存在を攻撃しないよ。という空気。“男である”“女である”と名付け、生活する世界には、私の“生”を否定するこを躊躇しない、存在が0以下の世界”の恐怖など、微塵もなかった。常に0を目指してきた、私にとっては、安心して息が出来る、夢のような世界だった。
『なんて楽なんだろう!』
社会と私が同じ絵の中で描かれることの不思議を感じながら、私はその絵を眺める私を意識していた。