あと数日で私は引っ越しをする。日々の忙しさにかまけて、なんの準備もしていない私は、ぎっしり詰まった押入を見ながら毎朝ため息をこぼしている。押入のことで頭がいっぱいの毎日。押入に思いをはせる時間、それはどこか懐かしい。
高校時代、私は同級生Tとのセックスにはまった。まんこ持ちとの初めてのセックス。学校の休み時間に1回、放課後に1回、ラブホテルで1回、Tと私は1日最低3回はセックスしていた。そしてそんな二人の欲望は、しだいに噂になっていった。学校のトイレや階段踊り場、鍵のかかる特別室、近所のデパートのトイレ、通学路にあるラブホテル、Tの家の近くにある団地の屋上・・・・とっておきのセックス場に、周りの人々の関心が集まり始め、噂は無視を出来ないほど大きなものとなっていった。私達に残されたセックス場。それはもっとも危険な互いの家と、知っている人のいない街にあるラブホテルだった。
Tと私の親は、学校からの指摘と、泊まりにくるたび、長い時間、鍵をかけて出てこない子供達の様子から、2人がセックスをしているということを知っていた。そして、自分達の理解を超えた欲望に悩み、互いの家に行くことを嫌がっていた。だからこそしばらく封印してきた家でのセックス。しかしお金が尽きた私とTに残された場所は、もはやその場所しかなかったのだ。
Tの家は、私の家から電車で40分ほどの所にあるA県にあった。私は、親が寝静まった深夜に、慎重に家を抜け出し、終電に飛び乗ってTの家に向かう毎日を送るようになった。Tの家は2Kのコーポ。私は近くの公園でMY石鹸で手を洗い、準備を整え、Tの部屋から見えるアパートの階段に座ってTの親が寝るまで待っていた。深夜1時半。Tの部屋のブラインドが閉められたら、それが“準備OK!”の合図。私は靴を脱いでコーポの階段をゆっくり登り、部屋に入る。そして壁1枚挟んですぐ隣で寝ているTの親に気づかれぬよう、音のないセックスをして、始発の電車で帰宅する。ようやく戻ってきたセックス。しかも、ラブホテルの休憩タイムより長い、2時間以上の時間の中でベッドの上で出来るセックス。快適だった。が、しかし、その日々も長くは続かなかった。いつものように合図を待っていたら、窓から外を眺めるTの親と目が合ってしまったのだ。いつもなら、陰が見えたら隠れるのに、ボーッとして見逃してしまったらしい。それからというもの、Tの親は、毎日、近所を見回りに行き、私がいないか確かめるようになってしまった。どこかで待っていて連絡を待つ、と、いうことができなかった携帯電話のない時代。私が合図を確認できる場所にいない限り、計画は遂行できなかったのだ。
(余談だが、私はTとのテレホンセックスのために、自分の部屋に電話をつけようとしたことがある。Tは、親が昼間、留守がちだったのでテレホンセックスが出来る環境にあったのだが、私の家は自営業だったために、昼間でも人の目があり、不可能だった。そこで見をつけたのが、電話機5千円のセールのチラシ。私はプッシュ回線にならないくせに、プッシュボタンがついた、赤い電話をGETした。しかし、この電話が大変な曲者だったのだ。どんなにゆっくり正確に押しても、“1”は気まぐれに“5”になったり“8”になったり、どの数字のボタンも好き勝手に違う数字の所にいってしまう。かけたい所にかけるまで、間違いを繰り返し、電話先では、私の聞いたことがない訛が聞こえた。目的を達成するまで、10分以上。その頃にはもうテレホンセックスどころではなくなっていた。)
そこで考えたのが、長風呂のTの親がお風呂に入っている12時過ぎに、部屋に入り、親が寝るまでの間、Tの部屋の押入で待っているという方法だった。私は暗い押入で身を縮めながらTが押入を開けるのを待った。
ある晩、いつものように押入にいると、1本の電話が鳴った。時間は深夜2時。「アンティルのお母さんから電話よ。寝てると思っていたアンティルが家にいないんですって!」『「ばれた! どうしよう!!』押入中に心臓の音が響き渡っているのでは、と思うほど私はドキドキしてその様子を聞き入っていた。『とにかくこの場所にいることを知られてはならない』私は、はやる気持ちを抑え、Tの親が寝るまで待つことにした。そして静かになった部屋を飛び出し、Tの自転車に飛び乗った。県境の橋を越え、トラックの通る深夜の国道を無我夢中で漕ぎまくる。その距離、20キロ。そして40分後に、私は仁王立ちする両親の前に辿り着いた。「私は近所を散歩したくなった」と弁解したが、深夜2時に散歩する高校生を親が許すことはやはりなく、こっぴどく怒られた。
(また余談だが、この話をするとみんな信じてくれない。「車でも30分かかるのになぜ自転車で40分で着くの?!!」と。しかし私は、確かに20キロの距離を40分で走りきったのだ。信じられないが、本当なのだ。そして私は、この時、人間のカラダの不思議を実感した。)
この日を境に、私の押入暮らしは終わってしまった。
欲望のエネルギーは、いつも私のカラダの中を渦巻いている。長い間、私は、そんな自分を、“動物的だ。わがままだ。”と反省し、堂々と肯定出来ずにいた。そんな自分をどこかで気に入っていて、欲望に従順であることをやめられない私には、いつか天罰が下るんじゃないかと、思っていた。しかし、今私は思う。欲望に背けない私を、私は今気に入っている。