私には長い間封印してきた夏がある。
金曜日の妻たちへが高視聴率を叩き、マドンナが「ライク・ア・バージン」を歌い、私が初めてセックスした夏。私はこの夏に体験したセックスを、しばらくなかったことにしようとしていた。
初めてしたセックスはとても気持ちよかった。自分のカラダを試すように触られ、舐めた、同級生Tとのセックス。「ここを舐めたらどうなるんだろう」「私はここが気持ちいい」私は自分のまんこや乳首を楽しみながら、膣に指を入れることでまんこが濡れる自分を発見した。
Tとのセックスを重ねるうちに、私が再認識したことは、オンナが好き、オンナのカラダが好きだということだった。そしてTはオンナのカラダを舐め、舐められる自分に戸惑い、その戸惑いを嫌悪感に変えて自分と私にぶつけるようになっていった。
「オンナとセックスをする自分は気持ち悪い。私はレズなんかになりたくない」
Tは自分を守るために私に男を求めた。私は私を否定されるのがなにより怖かった。『髪を切った所で私は何もかわらない。』私はオンナが好きな自分を楽にしてあげる道を選んだつもりで、お気に入りの明菜カットをばっさり切った。しかし、この選択は私のFTM人生の始まりだったのだ。
私の長髪は社会を写す鏡だった。
“オンナ同士だから”という理由で入れなかったラブホテルに入りやすくなった。夜、ラブホテル街を歩いている時、オヤジに「ねえ僕も交ぜてくれる?」と追いかけられることが、ほんの少し少なくなった。しかし髪を切ったことで、私はますますTと社会に男を求められるようになっていったのだ。私は自分の手の中に自分がいることを確かめながら、オンナが好きな私を奪われることがないよう、嫌な視線を浴びず楽に街を歩けるよう、私が纏う私を変えていった。オンナが好きだという欲望=私、だったから、私は必死に自分を守っていたのだ。欲望を奪われることは自分を失うことだった。そのためだったら、格好くらい大したことないという気持ちと、街の視線から逃れたいという気持ちが、“私はオンナである”という私の中の確証の乏しさと相まって、私は私を男化させていった。そして、私とTの間でも私のまんこの存在はタブーとなり、私はトランクスを履いたままイク事を覚えた。
まんこを触られ、乳首をなめられたあのセックスの気持ち良さを、私はこの瞬間手離したのだ。欲望を守るために私がした選択、私が社会から私を奪われないための防御。欲望の中の落とし穴に、私は吸い込まれていった。どこからどこまでが私が求めたものなのか、私は社会と対立していく中で、見失っていったのかもしれない。
最近、私はあの夏以来初めて髪を伸ばしている。
そして私は、自分が何者なのかという問いに答えを出さない自分に出会っている。