私は高校生になるまで、オンナのカラダを持って生まれたことに違和感を持たなかった。『胸なんてじゃまだなぁ~、生理が面倒くさいなぁ~』というくらいの不満はあったものの、自分のカラダを憎むというようなテンションではなかった。私が高校生になるまでイヤだったことは、私がやりたいスポーツを習いにいこうとすると「女だからダメだ」と、言われること、男より早い球が投げられるのに、マウンドに立つことが出来ないというような、オンナだということで能力を正当に評価されないこと、行動に制限がかかることだった。
小学生の頃、私はボーイスカウトにどうしても入りたくなって、「どうにかボーイスカウトに入れてもらえるよう頼んでほしい」と、母親に懇願した。同級生の男子から、ボーイスカウトで火を起こしたり、ナイフで枝を切ったりした体験を聞いて、私はボーイスカウトに心を奪われたのだ。
私は日曜日になると、ボーイスカウトの隊員達が手旗信号の練習をする姿をブロック塀のひし形の形をした穴から覗き、『私もいつかあの制服を着て手旗信号をやってみたい!』と、胸を熱くしながら眺めていた。母はガールスカウトを薦めたが、私はどうしても首を縦に振ることができなかった。ガールスカウトには手旗信号がなかったからだ。しつこく頼む私に根負けしたのか、母は頼みに行ってくれが、やはり入団は許されなかった。『どうしても手旗信号がやりたい!』なぜボーイスカウトに入れないのか、私には納得がいかなかった。悔しかった。私は図書館で手旗信号を調べ、タオルにその思いをぶつけた。ア・ン・テ・ィ・ル 私はしばらく毎日家でタオルを振っていた。
余談だが私は“これっ!”と、決めるとやらずにはいられなくなる。
自分の欲望を抑えることができない。小学校5年生の時、私は嘘発見器に心を奪われた。嘘発見器によって犯行を自供する犯人をテレビで見た私は、なんとやはりどうしても嘘発見器が欲しくなった。私は翌日糸とゆわいた洗濯ばさみを指にはめ、刑事役の姉に糸の先を持たせて嘘発見器ごっこをやってみた。しかしやはり、ごっこはごっこ。私の思いは満たされなかった。『欲しい。やってみたい。』もうその衝動は止まらなかった。1年後、私はお年玉を全部使って嘘発見器を買った。
この嘘発見器は、電子ブロックという商品だった。電子ブロックは、基盤の入ったブロック状のものを、決められた配列に並べると、あらゆる電子機器に早変わりをするという夢のような商品だった。ラジオ、電気の残量を調べる機械、そして嘘発見器。バリエーションは数十パターンにものぼる。私は嘘発見器を楽しんだ。私は毎日自分で自分に質問した。「あなたは冷蔵庫のゼリーを盗み食いしましたか?」「今好きな人はいますか?」答えはいつもYESだった。しかし思いを遂げることのできる幸せ。自分で手に入れた充足感。私にとってはそれが何よりの悦びだった。
嘘発見器がほしいという欲望の次に、私を激しく突き動かしたのは、モールス信号だった。電子ブロックでモールス信号の存在を知った私は、毎日信号を打ち続けた。誰かと交信したいという欲望。相手は誰でもいい。“ツーツツツ、ツーツー” 人差し指で私はモールス信号を送り続ける。「だ・れ・か・い・ま・せ・ん・か」その問いに答える人は一人もいなかった。
高校生までの私は、オンナが好きである自分を自覚してはいたが、オンナである自分に強い違和感を持っていなかった。よく耳にするFTMの子供時代とは少し違う。子供の頃にチンコがないことに悩んだ経験がない。その頃の私は、『自分は人と違うかも?』という、葛藤にもならない漠然とした不安の中で、ただ“オンナが好き”という思いだけを実感していた。オンナである自分と、オンナが好きな私。その間で苦しみ始めたと同時に私は自慢の長髪をばっさり切った。高校1年生の秋だった。
(来週につづく)