「春になるとおかしな人が増えるよね~」
季節の挨拶のように、毎年毎年聞くこのフレーズ。今年もすでに何回か耳にした。このフレーズを聞くたびに、私は私が生まれ育った「境村」(プライバシー保護のため仮名です)を思い出す。
その場所はおかしな人、気のふれた人だと囁かれる人が集まっている場所だった。
境村の大部分は某大学病院の研究所だ。その敷地面積の4分の1にもみたない所に、10軒ほどの小さな商店が大通りに沿って横に並んでいる。
その中に私の家はあった。私の家は、姉が知的障害者だったために、きちがいが住む家と呼ばれていた。そして同じようにきちがいと呼ばれる、ちょっとした有名人がなぜか近所には多かった。
鯛焼きやのおやじT。
Tは毎日毎日、深夜3時になると、白衣とマスクという医者のような出立ちで路上に現れ、椅子に座り、四角いアルミ缶の中に火種を入れて火を起こす。Tは鍋に小豆を入れ、物語に出てくる魔女のように、長さ30センチ位の棒を回し始めコトコトと煮始めるのだ。台所があるのに、“なぜわざわざ路上で作るのか?”“なぜ白衣を着ているのか?”みんな不思議でたまらなかった。こだわりの匠職人かとおもいきや、その鯛焼きの皮は、奥歯を使わなければ噛めないほどにかたく焦げていて、とてもおいしいとは言えない味だった。私は中学に入るまで、鯛焼きとはこげ茶色のかたい食べ物だと思っていた。初めて柔らかい鯛焼きを食べた時、これまで私が食べていたのは何だったのかと、びっくりし、Tに軽い怒りを感じた。Tは何処に行く時も白衣を脱がない。そして鍋を持って近所をぐるぐると歩いていた。そのため、なぞの鯛焼き屋としてその存在は境村中に知れ渡っていた。Tは鍋を持って何処に行っているのだろうか・・・。それは境村の謎だった。
数年前、久々に境村に行った時、もう店はないのに、80歳を過ぎたTは、まだ路上で鍋と向き合っていた。アルミ缶はカセットコンロに変わっていたが、相変わらずの白衣姿だった。しかも、その時のTの白衣は、まだ真新しいおろしたての白衣だった。
肉屋のおやじO。
私は昼間、Oが話しているの聞いたことがない。Oはアル中だ。お隣同士だったため、夜になると家で暴れるOの声がよく聞こえた。
O「高木の奴め、今日も俺のことバカにした目で見やがった。みんなでバカにしやがって。殺してやる~」ガシャンガシャン(何かを投げる音)
私は布団の中で、この会話をほぼ毎日聞いていた。年月が経つうちに、Oの家から夜な夜なもう一人の男の声が聞こえるようになった。肉屋の跡取り息子Hだ。Hも夜になると暴れ出す。
H「やってられないんだよ!ちくしょう!!」
ガシャンガシャン
O「今日も鈴木の奴め!俺のこと無視しやがった~」
ガシャンガシャン
妻「いい加減にしてよ!」。
私はいつか「アンティルの奴め、いつもバカにした目で見やがって、殺してやる~」と言われるんじゃないかと、妄想し、ビクビクしていた。この予感は違う形の恐怖となって私が19歳の時、現実のものとなった。
ある晩、Hの大きな声に苛立った私は、「うるさーい」と自分の部屋で大声を上げた。すると直ぐさまHの返事が返ってきた。
「うるさいだとこの野郎!」
私はとっさにベランダ側のブラインドを降ろし、ライトを消した。数分後、Hは思いも寄らぬ行動に出た。私の部屋と隣接しているHの家のトイレの小窓から無理矢理出てきて、私の部屋のベランダに進入したのだ。
「出てこい!!(ドンドンドン)」と窓を叩き始めるH。
ブラインドに映るHの影は、まるでホラー映画のようだった。そんなHと、昼間は人の目をまっすぐ見ることができないOが営む肉屋は、怪しい肉屋としてやはり有名だった。
境村にある10軒のほとんどが、一家に一人は「ちょっとおかしい」と言われる人を抱えている。いつか、自分のお金が盗まれるんじゃないかと恐れ、人が訪ねて来る度に警察を呼ぶ、本屋の隠居T。元ボクサーでパンチドランカーのKなどなど、境村には実に多彩なキチガイ達が集まっていた。私の母は、この住民がみんな集まる1年に1回の会合を恐れていた。この会合では、毎回事件が起こり大変なのだという。でもなぜ、こんなにもおかしな人が集まっているんだろう。その原因は、“隣接する大学病院の研究施設にあるのでは?”という説が囁かれていた。動物実験室、放射線研究所、細菌研究室といった看板が掛けられた建物が立ち並ぶこの施設から、人間をおかしくする物質が、空気や地面を通しジワジワと流れ出し、近隣住民をおかしくしているのではないか、といういうのだ。私は、外から部屋の中が見えないように、窓に緑や黒のフィルムを貼った研究所を見るたび、その説ありかも、と思っていた。
なぜおかしくなったのか。私の姉が障害を持って生まれてきたのにも、ある説がある。姉が胎内にいた頃、生活用水として使っていた水が悪かったという説だ。“なぜ自分の子供が障害を持って産まれてきたのか”という疑問を持った私の父は、姉と同じ障害を持った人が、その地域に数人いたことに疑問を感じ、いろいろ調べたらしい。その結果、行き当たったのが井戸水だった。その根拠については忘れてしまったが、この水には、疑うに値する、通常と違う何かがあるというのだ。そしてその説をたてた父は、そこに住むことを選んだ自分に、責任を感じているようだった。
私がなぜ性同一性障害になったのか についても、両親は考えたらしい。性同一性障害は、ホルモン投与など外部からの作用で、ホルモンバランスがくずれ、その影響で性同一性障害になるというホルモンシャワー説が、有力な仮説として発表されている(だいぶ端折った説明ですが)のだが、それを知った両親は、「私が胎内にいる時にあんなことがあったからかな」「こんなことがあったからかな」と、30年以上も前のことを思い出し、やはり自分達にその原因を求めていた。
きちがい、おかしいな人、障害者。他人と違う人を見ると、人はその原因を探そうとする。そこに何があるのか、誰に責任があるのか知りたがる。でも、当事者にとってはその原因は、どれほど重大なものだろうか。性同一性障害の当事者である私は、“なぜ自分が性同一性障害になったのか”ということに、それほど関心を持つことができない。そして、境村で、おかしな人達に囲まれ育った私は、OのこともTのことも「怖いなぁ。不思議だなぁ」と、思うことはあっても、その原因に興味を持つことが出来なかった。それは、境村の他の住人も同じだったのではないだろうかと思う。隣村に比べ、境村の住人が、私の家のことにあまり関心を持たなかったこと、見られているという視線を感じなかったのには、おかしな人を抱える家同士ならではの距離感があったのではないか。きちがいが、のびのびと、きちがいっぷりを発揮できた町、境村。異常か普通か、怪しいか安全か。そんな境界線がぐにゃぐにゃに入りくみ、自分の家のことで精一杯だった人達が住むあの場所は、確かにおかしな場所だったが、意外に住み心地がよかったのかもしれない。きちがいの巣窟境村に、私は久々に行きたくなった。