今週私は18年ぶりに、中島みゆきのコンサートに行った。大きなホールは沢山の人で溢れ、空席が1つもない状態だった。どんな人が来ているんだろうと、周りを見渡しながら、私は中島みゆきの登場を待った。
10分後、開演のベルが鳴り、照明が落とされる。会場から全ての音が消え、何千人もの人の神経がステージの1点に集まる瞬間。私もじょじょにドキドキしながらステージの中心を見つめていた。静まりかえった会場にドラムやギターの音が響きわたり、しだいに1つの音楽を作り出していく。コンサートの始まりだ。
そしてその音楽の中に中島みゆきは現れた。
私は中島みゆきの登場に興奮しながら、中島みゆきが生活の中心だった小学校の頃を思い出し始めていた。
私が中島みゆきを知ったのは9歳の時だ。
旅行の前の日で興奮して寝付けなかった私は、深夜3時ちょっと前に布団の中でラジオを付けた。その時流れてきたのが中島みゆきの「友情」という曲だった。
”悲しみばかり見えるからこの目をつぶすナイフがほしいそしたら闇の中から明日が見えるだろうか”(中島みゆき『友情』)
みんな寝静まった深夜、私は飛び起きてカセットテープの録音ボタンを押した。固まっていた感情がドロドロろ溶け出していくようだった。
私には、「こんにちは」というにも時間かかる発音障害とそれに伴う知恵遅れの障害を持って生まれた2つ違いの姉がいる。そんな姉がいる家を周りの人は、「頭がおかしい娘がいる家」と名付けていた。私には常に姉の存在がついてまわる。たとえば、公園で遊んでいて、おばさんに「あなたどこの子?」と聞かれ答えると「あぁあの頭の弱い姉ちゃんの妹ね」と姉を基準に語られる。それは母も、父も同じだった。
私が初めて周囲の視線に気が付いたのは小学校2年生の時だ。雨上がりで水たまりがいっぱいできて地面がキラキラ光っていた夕方だった。私と姉は母の手を握り、お気に入りの長靴をはいて水たまりの中をジャブキャブと歩いていた。信号を渡ろうとした時、前からきた親子連れの会話が聞こえた。
母「おとなしくしてないとあんな風になるわとよ」
子供「きもちわる~い」
その指は姉を刺していた。
私はとっさに母を見上た。その時の母の顔を私は今でも覚えている。私はこんな母の顔を2度と見たくないと思った。
学校でも私は、気持ち悪いねーちゃんがいる妹という目で見られていた。しかし、本当に気持ち悪いと感じるものに対して、子供は言葉を持たない。「やーいデブ」とか「ブ~ス」といったテンションでからかわれることはなく、「ねえねえおまえのねいちゃんって頭ぶつけて狂ったんだって?」「おまえもうつってるんだって?」と仲間の代表として勇気あるものが、真剣な顔で私に質問をしてくる感じだった。そのたび私は悔しい思いをしたが、それを誰にも言うことが出来なかった。言っても無駄だと思っていた。私がその気持ちを一番ぶつけたかった相手は母だった。しかしあの信号でみた母の顔を思い出すと私はどうしても言うことが出来なかった。
4年生のある日、私は仲がよかった友達に姉のことを言われた。そのことに傷ついた私は、始めて母に気持ちをぶつけた。
「なんで普通のおねーちゃんを生んでくれなかったの、ふつうのおねーちゃんが欲しいよ、もうやだよー」
すると母は
「じゃあお母さんとおねーちゃんがいなくなればいいんでしょう。」
と言って屋上に駆け上がっていった。死ぬんじゃないかと焦った私は、泣きながら必死で母の手をひっぱった。母も泣いていた。お母さんにはおねちゃんのこといっちゃいけないと、この時私は思った。
2人でいる時は仲良く遊んでいる友達も私がいなくなると、姉のことを言っていた。姉と私の共通点を探し、みんなに披露する。そんな友達に初めは怒りをぶつけてみたりしたが、しだいにそれもしなくなった。何を言ってもしょうがないと諦めることで私は日常を送ることができたのだと思う。そんな学校生活を送っているとき、中島みゆきが私の前に現れた。
”救われない魂は傷ついた自分のことじゃなく~救われない魂は傷つけ返そうとしている自分だ~”(中島みゆき『友情』)
中島みゆきを知ってから私はおこずかいをためて中島みゆきのレコードを1枚1枚買っては、辞書を引きながら何度も何度も歌詞を読んだ。不思議とすっーと歌詞が私の心の中に入ってくる感じだった。私は曲を聴いている時だけ、自分の感情をさらけだすことができた。そして私は9歳で中島みゆきに共感する気持ち悪い小学生になった。
中島みゆきは、インタビュアに歌詞の解釈を求められることを嫌う。着想の説明が聴き手のイマジネーションを妨げるからだ。聞く人によって、自由に感じればいい。中島みゆきは私を、「私の感情は私のものだ」と肯定し、励ましてくれる。私は中島みゆきの曲を聴くことで自分というものを忘れずにいられたのだと思う。
中島みゆきのコンサートを聴きながら、自分がどんな風に中島みゆきの曲を聴いていたのか思い出していた。そして周りから何と言われようと自分をごまかすことをしない中島みゆきに勇気づけられていた記憶が甦った。男のスタッフを従えて、自分がやりたい世界をステージに映し出し、自由に歌い踊り、7500円というちょっと高めの料金を堂々と提示する中島みゆきはやっぱりかっこいいなぁと思った。
2時間強のステージで、けして趣味がいいとは言えないヒラヒラ衣装に2回着替え、最後はジーパンでしめくくった中島みゆきオンステージ。気が付いたら私は立ち上がってノリノリになっていた。
”淋しいなんて 口に出したら だれもみんな うとましくて逃げ出していく淋しくなんかないと笑えば 淋しい荷物 肩の上でなお重くなる・・・歌姫スカートの裾を 歌姫 潮風に投げて 夢も悲しみも欲望も歌い流してくれ~”(中島みゆき『歌姫』)
なぜ中島みゆきが好きなのか思い出したコンサートだった。