明けましておめでとうございます。目出度いのかどうかわかりませんが、日々を重ねることは素敵なことです。今年も良い年になりますように。
さて、前のシリーズでも書きましたが、なんといっても日本にしかない「内診室のカーテン」撤廃。どうしてこれが国民的運動にならないかが不思議です。講演の度に、会場に問いかけます。内診室のカーテンは何のため?すると、ほとんどの女性は、そういうものだと思っていた、恥ずかしいから?、開けていいですか、なんて言えない!と質問の意味すら意に介さないようです。カーテンは日本にしかない、と聞いても特段驚かない。誇らしくも恥ずかしくもない、思考停止状態なのです。
女性が「女性」として最も重要なライフイベントはセックスもさることながら、経験するなら妊娠・出産ではないでしょうか。その大事なライフイベントの導入となる婦人科の診察そのものが、最初の性被害的なものだとしたら・・・・考えるだけでおぞましいことです。しかしながら、その在り方について問うことも、問われて考えることもできないとしたら、その根幹にあるのは女性の自己否定に他なりません。そういうものだと思っていた、「そういうもの」でいいのでしょうか。ましてこれからことあるごとに健康管理としても、トラブルの解決としても受診するであろう婦人科に、そういうものだと人生を委ねて大丈夫なのか・・・他人事ながら心配になります。
勝手に「内診室のカーテン撤廃委員会」会長を名乗っていますが、今までに会員はたったの3名。今後は「カーテン撤廃党」にして、選挙に出ようかしら。
私がカーテンを開けて診察を始めたのは、かれこれ20年前、患者さんの方から、カーテン開けていいですか、何されるか知りたいので、と言われて、初めてのことでどぎまぎしたのを覚えています。別ににやにやするわけでもないのに、どんな顔して診察したらいいのか、きっと表情が強張っていたと思います。ところが、やってみたらなんということはない。それもそのはず、陣痛室や分娩室ではカーテンなどなく、普通に診察しているのですから。外来だけ物々しくカーテンをする、その愚を全国の大学教授が気づかないことがもはや滑稽です。それもかつては、断りなしにカーテンの向こうで研修医や学生が何人も変わるがわるお股を覗き込んでいた時代もありますから、少しはましになったかも知れません。
恥かしいどころか、お互いの顔が見えて、タイミングを図ることもできリラックスします。どこを見て欲しいのか、コミュニケーションも図れます。診察をする側のストレスも減るのです。たまに、何かのプレイと勘違いして、顔を手で覆っている人を見かけますが、診察する方は真剣にお股をのぞき込んで位いるので、その顔を見られないのはラッキーかも知れません。性交経験がなかったり少ない場合は、SSからSSSの可能な限り小さな器械を使用します。超音波検査も腹部エコーで代用したり、肛門から挿入したりします。人によっては、出産経験があっても性交も内診も苦手という女性もいるのです。そうした個人のニーズに合わせて診察すべきです。
医療なら何をしても許される時代ではありません。様々なシーンで加害や暴力に関心が高まるなか、この業界に身をおいて30年、なくなるどころかエスカレートしそうな領域にあえて苦言を呈します。これを変えて行くことができるのは、自浄作用ももちろんですが、被害に遭っている女性からのアクションです。
産婦人科医不足といわれる中ですが、医師のやる気を削ぐなどと言わせないで、国鉄からJRに変わった公共交通機関のように、優しい医療への更なる変容を促していきましょう。