だいたい朝起きるのは10時前後。21歳の時、腹膜炎の手術で受けた輸血が原因でC型肝炎になり、インターフェロンで完治する72歳まで、お医者さまの忠告を守って、60代からは毎日8時間、白雪姫のようにベッドに横になって来ました。
遅く結婚して、子育ては40代からだったので、その頃はそんな贅沢も言えませんでしたが、60歳を前に膵臓癌を疑われ、肝臓の数値もどんどん悪くなった時に、主治医だった先生から、「どんな名医も名薬も、睡眠不足だけは勝てません。眠らなくてもいいから、8時間はベッドの中に居るように」と言われて、翌朝が早い移動や講演会などは、お願いして前夜から泊めて頂くようにしたのです。
それで起きると、午前中はゆっくりと鏡に向かいます。膵臓癌の疑いが消えるまでに3年半。いろいろと大変な事があったので、鏡に向かうと、まずはホッとして笑ってみます。「いい子ね。今日も頑張っていこうね!」と。
そう。お化粧は大切な出陣式のようなもので、絶対に欠かせません。特に眠れない事があったり、投薬が増えてからは、上瞼が腫れぼったくなったので、少し濃いめのアイシャドウを塗って、あまり刺激の無い付け睫毛の糊を使って、二重瞼を固定します。「湯川れい子さんの顔」の出来上がりです。
コンサートが終わって楽屋に顔を出したり、レコーディングやラジオの収録があったりすると、帰宅はだいたい夜の10時か11時。それから郵便物やメールに目を通して、原稿の校正や書類にペンを走らせていると、アッという間に1時から2時になってしまいます。何とかお風呂に入って、2時にはベッドに入りたいのですが、たいていは3時近く。
したがってエステや美容院に行く暇は、まずありません。優待券などを頂いても行ったことが無いし、また顔を造り治すのは恥ずかしいしで、エステというものにも行ったことがないのです。
美容院は、もう30年近く行きつけのお店が麹町にあって、クリスマスが近づくと、年に一度だけ顔を出します。トリートメントをして頂いて、パーマを少しかけて、ちょっとブリーチをしたり。細くて薄い髪ですが、子供の頃から茶髪で、あまり白髪もありません。だからいつも長くしたままで、最近はもっぱら束ねて、三つ編みのエクステを付けて遊んでいます。
唯一、マメに家まで来てやって頂くのが、マニキュアです。私の妹分か娘分のような人が爪の専門家で、彼女とももう30年。彼女の人生も色々とあって、今も女手ひとつの戦闘状態なので、3週間に一度は時間を決めて、夜の8時過ぎに来て貰います。
ジェルでしっかり爪をやっておくと、海外に出ている間も、まったく爪の心配が要らないのです。取れかかった時のために、爪用の糊とトップコートを持って行くだけ。
昔、インドの最下層の貧民街にボランティアで行くことがあって、さあ、この爪はどうしたものか・・・と、迷いながら訪れた孤児の家で、まず真っ先に女の子たちが関心を示したのが私の爪でした。両手にぶら下がるように女の子達が寄って来て、かわるがわる目を輝かせながら爪に触るのです。
その時はたまたま持っていた赤いマニキュアを塗ってあげたのですが、体をぶつけ合うようにして笑いころげて喜んでくれました。お化粧やおしゃれって、女性にとっては心のサプリメントなんだと確信した経験でした。
それで先ほど私はお化粧を出陣式といいましたが、私が54年間も仕事をして来た世界は、歌ったり踊ったりしている人に女性は多くても、芸能界そのものは全くの男性社会です。今も昔も私の前には渡邊美佐さんお一人くらいしかいらっしゃらなくて、チヤホヤもされるけれども、いざとなったら爪の間に血がにじむような、食うか食われるかの弱肉強食の利権の世界だと言っていいでしょう。
そんなところで弱気になったり媚びを売っていたら、付け込まれて利用されて終わりです。どこか可愛らしい女性の焼きもちと違って、男性のそれは命がけですから、こちらも正面から正々堂々と受けて立つしか無いのだと思います。そのためには、常に毅然としてニッコリ笑っているしか無いのではないでしょうか。
今にして思えば、昔は顔で笑って心で泣いていた事もあったかも知れないけれど、今は違います。顔で笑って、心も笑っているのです。だって、その仕事が好きで、それをやっている自分が好きで、やっていられることが嬉しくて有り難かったら、たとえそれで少しくらい嫌な想いをしたり、負けて口惜しくてて泣いても、心は笑っていられるように思うのです。きっと私もそこまで年を取って来たからでしょうね。
そう、年を取って来たといえば、心配なことがひとつ。来年はいよいよ80歳の大台に乗るのですが、どこでどう転んだり病気をしたりして、養老院や病院のお世話にならないとは限りません。
そんな時は、病院に入るとお化粧は全然させて貰えなくなるし、ちょっと呆けてきたりしたら、アイシャドウも眉毛もちゃんと描けなくなることでしょう。「え?どちらさまですか?」と言われるような、まったく違った顔になっちゃったら嫌だなぁ、と思います。
そこで早ければ来年のどこかで、お嫁ちゃんとか妹分、娘分たちと相談をして、二重瞼の手術を受けようと思うのです。いつも同じパッチリとした目にして貰って、眉毛には墨を入れて貰って、あんまり痛くなければ、ちょっと目張りをしておくのもいいかも知れません。
来年は3月と10月の2回、アラスカとアイスランドにオーロラを見に行く予定を立てているので、その前に思い切って、究極の夢の出陣式を執り行ってみるのも楽しそうですよね。
音楽評家・作詞 湯川れい子