第13回アジア・オセアニア性科学会が、2014年10月21日~25日にオーストラリアのブリスベンで開催されました。日本は秋でしたが、南半球の季節は春。真紫のジャガランタの花が咲き乱れる美しい街でした。
2年に1回、アジアの各地で行われるこの学会に参加したのは、3回目。最初はバリ、そして島根、今回のブリスベン。常勤勤務医で、毎月10日は平日も土日も拘束される勤務の中で休みを取るのは大変ですが、無理をしてでも休みを取って新しい知己を得るのは有難いことです。職場の理解も嬉しいです。2年ぶりに会う知り合いとの会話。そして、心置きなく話せる、性のこと。
中でも今回、心の師匠と呼べるビビアンヌ・キャス先生に出会ったことが最大の収穫だったかも知れません。特別講演の一つで、マタニティセクシュアリティに関する講義をされ、私の関心と重なることがたくさんありました。
1980年代にフランスのミッシェル・オダン医師が「出産をオルガズムで迎える」ということを提唱していて、雑誌「MORE」に載っていたのを衝撃で読んだのを覚えています。
それから30年経っても、出産をオルガスムで迎えるという考えあるいは生き方は、一部に浸透したものの、主流にはなっていません。なぜなのでしょう?
そこには、女性が自分の健康管理を主体的にするとか、自分らしく生きることの否定が色濃く見て取れます。
例えば、男女を入れ替えて、男性の射精が主体的でなく、快感もなく、強制されて行うことだったらどう思うでしょうか。
そんなことは不可能と思われるかも知れませんが、男性の性被害もあれば、悲しいかな、不妊治療中の男性にも似たような悲劇が起こります。「今日は排卵日だから」という魔法の言葉で、性欲があるかないかに関わらず射精を求められる、あるいはその気がなくても妻に襲われる、ということは想定内のことです。
私の「性の相談外来」には、かつて、不妊治療で何百万も使い、排卵日にはきっちり精液を搾り取られ、こころも体もぼろぼろで、妻に性欲なんて湧きません・・・・と涙ながらにご相談に見えた方もいました。射精の一瞬の快感が恥辱と変わる、その結果できた子供を無意識のうちに拒絶することもあるのかも知れません。
男性の場合は、このような限られた状況でしか想像できませんが、いま一度女性に置きかえて、性交が望まない受け身の性交で、オルガスムどころか性交痛しかない、早く終わればいいと思うようなものであり、その延長に妊娠があり、出産があるとしたら・・・女性特有の快感を味わうどころか苦痛しかない人生ということになりかねません。
出産の快感を否定あるいは無視して、「もっと産め」と言うのは、男性にもっと出せ、とひたすら射精を要求するのと同じことかも知れないのです。
出産は人それぞれではありますが、美しいだけでなく本人も快感で過ごす陣痛をもっと知って欲しいと思っています。
残念ながら自分が産む時はまだそのようなことを知らずに、「女性は損だ、痛いことばかり」と思っていましたが、「男性には味わえない大オルガスム」と考えると痛みというより壮大な快感の嵐とも言えます。
実際、産まれる直前に、「もう少しですよ」と声をかけたら、「え~っ。もう終わってしまうんですか?」と妖艶な残念そうな産婦さんの返事があり、絶句したことがあります。
出産の達人は、赤ちゃんが産まれた瞬間に、「あ~、すっきりした!もう一人産みた~い!」と叫びます。後で聞くとオルガスムともいうべき爽快感のようです。
先に述べたキャス准教授は、出産もオルガスム、授乳もオルガスム、と日本では考えられないような説をガンガン披露して下さいました。何の屈託もなく、誰に遠慮することもなく、自分を表現できるって素敵だな、と思います。
私たちは誰しも一人で生きているわけではないけれど、自分のことは自分で決めたい、守りたい。
オルガスム、私の体には私の尊厳とも言うべき「王が住む」。
皆さんも見つけて守って下さいね。