宝塚の舞台を見たことがない人も、あの濃い「ヅカメイク」はご存知なのではないだろうか?
生徒たち(劇団員はいくつになってもそう呼ばれる)はみんな自分で「ヅカメイク」をする。
タカラジェンヌ養成機関「宝塚音楽学校」の本科生の秋頃。劇団から上級生がやってきて、「お化粧講習」なるものを開いてくださる。本科生たちはこの日初めて、憧れの「ヅカメイク」をする。男役と娘役は基本的に身長で分けられていて、この「お化粧講習」も男役と娘役に分かれて学ぶ。
男役は眉を太く描き、娘役は柔らかなアーチ状に描く。使うドーランの色味も娘役のは男役よりも一段階白いものだ。チークの入れ方も、ダブルラインの引き方も違う。女性が演じる理想の男性が、より男らしく見えるように、娘役たちは可憐なかすみ草を目指す。男らしく、女らしく…。女性同士でロマンチックな舞台を展開するそこは、徹底した異性愛規範の世界なのだ。
自分の性の在り方が、そこから外れていることを知っていた私は、ずいぶんと居心地が悪かった。あの頃の私は、同期生にも誰にも自分のセクシュアリティをカミングアウトすることができずにいた。
「宝塚って、レズビアン多いの?」
私が元タカラジェンヌであることをカミングアウトしていると、頻繁に聞かれる。
「多い」に決まっているじゃありませんか。
宝塚歌劇団は今年で100周年。これまでに4000人以上の生徒が輩出。LGBTは人口の5.2%いるという最新の調査があるから、卒業生が4000人、現役生が400人いるとして、レズビアンが私ひとりであるという方が不自然なのだ。それに舞台に立っていると、その期間中は外部の人間との接触が少ない。フェアリーといえどもみんないい大人。本当に何もないと思われている方が不思議なくらいだ。
初めて「20人にひとりがLGBT」と聞く人は、たいてい「多い」と驚く。結婚してから女性が好きだと気がつく女性も多い。子どもを持つレズビアンも多いし、公務員にも、美容師にも、学校の先生にも、会社員にも、レズビアンは「多い」。たまたま今の日本社会の中でレズビアンの女性は「いない」ことにされているだけで、レズビアンの女性はどこにだっている。もちろんタカラヅカの中にも。
レズビアンの女性が「多い」ことに、何の問題もないはずだ。「レズビアンが多いと問題だ」と思っていたり、当事者の女性が自分のセクシュアリティを言いだせない雰囲気を作っている側に問題があるのだ。
私は言いたい。タカラジェンヌがレズビアンだと、なぜいけない?
しかし、そんなふうに考えられるようになったのは、ごく最近のこと。未熟だったあの頃の私は、自分から心を閉ざしてしまった。
「女子校のノリで上級生にきゃあきゃあ言うのは許されても、レズビアンである私はどうせオカシイんでしょ」と。
あの頃フェミニズムと出会えていたら、自分を表現する言葉を持っていたら、と悔やまれてならない。オトコが好きなオンナでも、オンナが好きなオンナでもいいのだと、私自身が理解できていたなら…。
彼女たちと心を開いて語り合うことができなかった寂しさが、チクリとする。
あれから10年経った今、舞台メイクが板についた彼女たちを遠くから眺めている。