精子がなければ妊娠はできないが、「精子感染」を起こした卵子が受精卵となり、子宮内膜に「着床」=「妊娠」が起こるのは、子宮移植を受けなければ今のところほぼ女性だけである。その場合、精子の持ち主はいつまで精子の身体権(?)を主張できるのだろうか。唾液は、垢は、愛液は、排泄物は、どこまで排泄した人のものと考えるべきなのだろう。基本的には要らなければ捨てることができる。要るものを奪われれば窃盗だ。
例えば、昨日食べた秋刀魚は、イクラは、今日はどのような状態なのだろう。すでに私なのか、それともまだ彼らなのか。厳密にいえば、消化管は内臓であるが、トポロジー的には口から肛門に繋がる土管のような「体の外」であり、内側の腔内で栄養分を吸収しているだけである。同様に、間接的には子宮口から子宮内腔、卵管、そして腹腔内へと繋がってはいるが、トポロジー的には、膣はただのくぼみであり、そこに少々出っ張った何かを当てようが別に体をえぐられるわけでも何でもないのである。ただ、そこで発射された何かが化学反応を起こさなければ、ということになる。
「受精」という精子感染がなければ、女性も子どもを孕むことができない。女性側からみれば、それは欲しいときだけ起こればいいことなのだが、世の中はそうそううまく行かないもので、欲しい人にはなかなか授からず、欲しくない時にうっかりやってくるのは有史以来変わらない。
性犯罪がどうして起こるのか、なぜ犯罪としてきっちり罪を償うことが難しいのか。性被害者の診療に関わるようになってまだ日が浅いが、その都度、私は凹む。妊娠・出産の明るい部分だけ見てきたつもりはないが、これほどまでに周囲の人間も巻き込んで対処しても起こってしまった被害の影響を最小限に食い止めるのは容易なことではない。性被害では、怪我をしたわけでも物を取られたわけでもないのに・・・・という言い方をされることがあるが、何を犯されたのかと言えば、たいていの人は「尊厳」と答える。性はことほど左様に尊厳と捉えられるべきものなのか。あるいは実はそれほどでもないことなのか、私にもよくわからない。言えることは、幼いうちに受けた被害ほど激しくその人の将来を奪う、ということだ。
幼児から50代まで様々な被害状況があるが、いわゆる条例レベルでの13歳未満の犯罪も後を絶たない。警視庁のHPによれば、下校時間に多く、学校(幼稚園)での被害も5.9%に上る。最も多いのは住宅内で49.3%、ついで道路上18.4%、公園11.0%となっている。
強姦被害は10歳未満はさすがに少ないがそれでも1%あり、10代24.8%、20代55.5%で、性風俗営業店での被害が13.6%となっている。性産業のリスクといえるだろう。強制わいせつ被害は、10歳未満が10.4%もあり、10代33.5%、20代42.4%で、道路上30.8%、電車14.5%、学校(幼稚園)1.3%となっている。迷惑防止条例違反、いわゆる「ちかん」行為は、被害者内訳は10代33.4%、20代44.7%となっており、電車57.0%、駅校内17.3%と圧倒的に交通機関で起こっている。道路上8.0%、店舗内12.2%、そして公衆便所1.9%も侮れない。都内で一年間にわかっているだけでも3000件超のこれらの被害。届けられていないものを含めると10倍くらいあるのかも知れない。そして一人で悩んでいるかも知れないと思うと切ない。被害を開示して、誰かに助けを求めても、適切な対応がされているとは限らない。被害を受けた女性が、安心して生活できるには、犯人逮捕だけでなく、逆恨みによる再被害から被害者を守る必要がある。日本では遅れているといわれる性犯罪加害者への対応も早急に進めるべきだろう。何より、誰にでも自分のからだは侵害されないという身体権があると考えると、第三者がとやかく言うことではない。明らかに被害と認定されれば図らずも宿った胎児を葬ることに異論はないかも知れないが、現状はそう甘くはない。
明らかに被害とは言えない望まない妊娠は日々起こっており、女性や周囲を悩ませる。
先日、皮下に埋め込むマイクロチップで16年間継続的に避妊ができるものが開発中と聞いたが、そうなると女性の身体権は保護されるのだろうか。あるいは、妊娠しないのをいいことにさらに性犯罪が増えるのだろうか。
性犯罪加害者を特定したり、何があったのかを明らかにするのは証拠がそろわず大変難しいが、実は妊娠した場合は、容疑者の身柄があれば中絶胎児とのDNA鑑定ができ、決定的な証拠となることは、逆説的であるが、本人にとっては事件の決着を付けやすい有利な材料となる。DVの性被害では、元夫、あるいは元パートナーから逃げている状況で妊娠が発覚し、その時点では性被害ではないので、現行法の母体保護法では、人工妊娠中絶を施行するのに相手のサインが必要である。・・・・相手と会うどころか、居所を知られたら身の危険があるのだから、この法律は刑法堕胎罪撤廃が望ましいが、そこまで変更せずとも運用上だけでも何とかすべきだろう。女性の身体権と胎児の身体権、という天秤ではなく、ここは女性の身体権と加害者の権利の天秤と考えるべきなのだ。つまり、胎児の精子が加害者のものであったとき、女性はどこまで自分の身体権を主張できるのか、ということになる。フランスでは無条件で人工妊娠中絶ができ、理由すら要らなくなったと聞く。今の私は、女性の身体権、いや、身体権は誰でもその人に固有のものに決まっているではないか、と思っている。