11月の初め、自らが党首であるCDU党や連立をしているSPD党がボロ負けしたヘッセン州の選挙の後、アンゲラ・メルケル首相が2021年の任期終了を以て政界から退くことを表明した。本人曰く、引退そのものについては選挙結果とは関係なく、既に夏頃に自分の中で決めていたそうだが、党首として18年、首相として13年も采配をふり続けたのだから、少なくとも首相の座から降りること自体にはドイツでは誰もそれほど驚かなかったと思う。現メルケル政権の混沌とは関係なく、次期も首相を努めるなんて、政治的にも彼女の個人的事情にしてもあまりいい状況とならないだろうし、それはメルケル氏自身もよくわかっているはずだ。
それでもこのタイミングで発表したのはやはり、バイエルン州に続きヘッセン州の選挙でもCDU党やSPD党が議席を大幅に失ったことについてのメディアや支持者からの批判や揶揄を収めるためだろう。
CDU党が大幅に支持率を落としたのは、メルケル氏の難民政策に不満が出ているからというのが多くの見方だろうけど、それだけではないと思う。難民政策に端を発したCDU党の内部分裂(難民・移民を非難する保守派とその対抗派)やCDUに対してカウンターとなるべきSPD党が連立を組み、それゆえなのか現在の保守派の過激さに立ち向かわずはっきりしない態度を取っていたことに落胆した支持者たちが、他へ回った、という背景もある。
その「他の政党」として選挙前から挙がっていたのは先日のコラムでも書いたAfD(ドイツの為の選択肢)党だったが、蓋を開けてみれば彼らの票獲得率はほぼ予想通りの十数%台だった。もちろんその数字自体は以前より伸びて他の左派やリベラル系の党を上回っていたりするのでまったく喜ばしいことではないけれど、意外だったのはどちらの選挙でも緑の党や無所属派が獲得票数をぐんと伸ばして第2党に食い込んだことだ。つまり、今まではCDUやSPDのような大型の政党を支持していた人たちがそちらに回った、ということなのではないか。難民・移民政策を容認しつつも慎重に、そして再生エネルギー政策を中心とする環境問題などの政策にも取り組むこの党の支持が上がったということは、当然そうした政策を支持している人たち、ということになる。
でもその難民・移民政策や環境政策は、他でもないメルケル政権が進めてきたものなのだ。CDUは支持しないけれども首相としてのメルケル氏を望む、という傾向は過去の選挙からずっとあった。それだけ国民からの支持が大きい、こんなに国民に愛されてきた首相ってしばらくいなかったんじゃないだろうか。
現在は12月初旬のメルケル後のCDU党首選挙で誰が党首になるのか、メルケル氏の政策路線を引き継ぐのか、それとも全く逆の保守強硬派が選ばれて次期の首相を目指すのか、それとも誰がCDU党首になったにせよ、第一党が緑の党など、別の党になる可能性もなくはない、と、ドイツの政治が落ち着かない。メルケル氏が2021年までの任期完遂を表明したにせよ、状況次第では来年総選挙が行われ、政権が変わる可能性もあるらしい。
さてこの秋で、私のドイツ在住歴は13年となった。そう、まさにメルケル政権の政策の下で私は外国人としてこの国での人生を歩んできたんだなと、あらためて気付く。
1960年代に大量にやってきた外国人労働者たちが二世、三世と定住化する中で移民社会を孤立させないようにするための外国人統合政策の下で、私も語学やドイツの社会文化事情を学んだ。少子化対策としての家族政策として始まった、両親手当と呼ばれるいわゆる育休手当制度のおかげで、女性の産休・育休後の復帰率がこの10年で上がったことは先日のニュースでも取り上げられていた。この女性首相と当時の保健大臣(同じく女性)がタッグを組んだ政策だった。
そして日本人の私にとってはなんといっても、2011年の福島第一原発事故直後、それまで原発稼働推進派であった元物理学者のこの首相は即、その方針を転換して脱原発・再生エネルギー政策を決めたことは大きな出来事だった。当事国の日本がいまだに原発再稼働を進めようとする一方で、課題は多くとも着実に再生エネルギーの発電量や稼働率を上げてきているドイツと、余計なプライドなんぞは持たずに将来への可能性を掛けてスパッと転換をはかったその首相の姿勢に、人間としての謙虚さと柔軟さを感じた。見ていて思うが、たとえ明らかに間違いであってもそれを認めないまま政策転換ができない日本の政治家と違って、このメルケル氏は自分の間違いは公の場でもはっきりと口に出して認める(たとえば難民政策についての自分の見方が甘かったなど)。
その人間としての誠実さを、皆が信頼してきた。その他、インダストリ4.0と呼ばれる産業経済のデジタルネットワーク化政策やEUの財政再建など、メルケル政権が進めてきた政策はどれも影響が大きいものばかり、そしてドイツという国は寛容でオープンな社会を目指してきたのだ。だからこそドイツ国籍を持たない外国人である私は、メルケル政権後のドイツの政治がどうなるのか、とても気になる。
インテグレーション(統合共生)が繰り返し叫ばれてきたこの10年で、ドイツ社会の人種や文化状況は大きく多様化したと感じる。外国人であっても、または外国にルーツを持つドイツ人であっても、様々な人が共生する寛容な社会を目指そうという認識が浸透してきたというのに、この2〜3年の難民政策問題をきっかけに、一部の人々の心はまた揺れ始めている。ああー、メルケルさん…。
よく批判される難民政策については、私は彼女だけの責任ではないと思う。そもそもきっかけとなったシリアの内戦やISの台頭の背景には周辺国の事情や欧米各国の思惑があるのに、どの国も難民を受入れたがらず、命からがら逃げてきた人々が地中海で船と共に沈んでいく様子を見て、声をかけたことの何が悪いのだろうか。結果として溢れんばかりの難民がドイツに集中してしまい、行政が対応し切れなくなってしまったわけだが、極右やポピュリストたちが批判するような難民=犯罪者という図式はやはりおかしい。
犯罪を起こした難民とされる者たちは皆揃って、そもそも難民としての滞在許可が下りなかった、その為本国送還される筈だった、のに、なぜかその後もまだドイツに居た、など、警察や関連の行政の手落ちが原因にある。しかし難民/外国人=犯罪者とするポピュリストたちや保守派の煽動や、現在彼女の周りには一緒になって動ける有能な同僚や部下がいない、という状況の中で、残念だけれども今の彼女は周りの環境に恵まれていないなあとみえるのだ。
これだけの采配を振るってきたこの女性首相、その人柄もあって、彼女はよくMutti(お母ちゃん)と呼ばれる。自身は子供がいないが、要はドイツのお母ちゃん、ということだ。くせなのか、公の場でもよく胸の前でハートのマークのように両手を合わせるポーズもよくネタにされた。趣味のオペラ鑑賞で胸の谷間が見えるイブニングドレスを着ていたところをネタにされたり、サッカーファンでW杯のドイツの試合では大いにはしゃいでいる姿も見せてくれた。息抜きの時間は手料理(今はそんな時間はないだろうが…)というのも親しみがもてるし、厳しくブレない仕事振りの一方で、とっても愛嬌のあるチャーミングな人である。演説でのハッキリ明快でかつ落ち着いた温かみのある声や話し方は、ドイツ語が母国語でない私が聞いていてもわかりやすく信頼できるようなものだった。
5年くらい前のことだったか、この州選挙の応援に来ていたメルケル氏の演説を偶然に見たことがある。遠くから響いてくる声を聞いて、どこかで聞いたことがあるなーと思ったら、彼女だった。彼女のファンでもないのに、思わず興奮して近づいて見に行ってしまったのを覚えている(遠くからだったので、小さい姿しか見えなかったけど)。
先月の秋休み(ドイツの学校は10月に2週間程の秋休みがある)に家族旅行でベルリンに行っていた友人のエピソード。10歳になる息子がベルリン中央駅前の国会議事堂を見て、あそこに行けばメルケルさんに会えるんでしょ?あそこに住んでるんだよね?とはしゃいでいるので、うーん、今日は居ないんじゃないかなあと答えたら、ええー、メルケルさんに会えるかと思ったのにい!とえらくガッカリしていたそうな。
特に政治に関心が高いわけでもなく、彼は普段ゲームやテレビが大好きな今どきの男の子である。でもそんな子供にも人気がある首相って、日本じゃ考えられないよねー、と友人と笑いあったのだった。
© Aki Nakazawa
そういえばあのとき写真も撮ったよなあと探してみたら、ありました。はい、小さくしか写ってませんが、舞台中央でマイクを握っているブルーグリーンのジャケットを着た女性がメルケル首相です。2012年のことでした。デュッセルドルフ市庁舎前広場にて。