ドイツ語で、setzen sich mit austeianderという言い回しがあって、これは英語だとconfront、つまり何かに「向き合う」という日本語の訳がつけられる。
最近、日本からのとある依頼のためのリサーチをする中で何度もこの言葉に出会った。それが使われていたのは、ドイツ社会またはドイツ人が戦時中の出来事、つまりホロコーストなどナチスドイツが行った犯罪に対して、戦後どう「向き合うか」「向き合っているか」という文脈でだった。
興味深いのは、話を聞いた社会学の先生から20代前半の若い世代まで、様々な世代や分野の人が、口を揃えたかのように、この「向き合う」という言葉の後に「そして忘れてはいけない」と付け加えていたことだ。ナチスドイツによるホロコーストという犯罪が認識、検証され始めたのは、まだこの数十年と、思ったより歴史が浅い。が、その徹底ぶりは、日本の戦後における歴史の検証とよく対比されたりと、日本でも知られているとおりだ。その社会学の先生いわく、これほど徹底して過去にオープンに向き合っている国はそうなく、逆に過去に蓋をし、隠そうとする文化の国々もある、とのこと。それを聞いて思った。うーん、それって、日本だ…。
中国や朝鮮半島における侵略戦争という位置付けのことや、従軍慰安婦のこと、はたまたは国内で起きた朝鮮人強制労働のこと、沖縄戦のことや戦前の思想統制で弾圧された人たちのこと、戦地に送られていった多くの命のこと。挙げれば挙げる程、どんどん出てくるこの終わっていない事柄。いや戦争関連のことだけじゃない。戦後に起きた公害訴訟もそう。
最近になってやっと表に出始めたのは、障がい者の強制不妊手術の訴訟など。加えて恐ろしいのは、なぜいまさら声を上げるのか、金目当てじゃないのか、などど叩く人たちがいることだ。同じ日本に生きていても、まさに他人事なのだなあと、心が冷たくなる。違うんだよね。お金で補償したから終わり、ではないのだ。そうではなくて、過去に起きたことを繰り返さないためには、それを反省とともに語り続ける必要があるということなのだが、それを理解していない人は、なかなか多い。
学歴がそれなりにあるはずの社会的立場にある人たちだってそういう発言を公の場で繰り返すのだから、これはもう戦後の教育の差だな、とドイツ人たちの話を聞いていて思う。
先週、私の関わるオーバーハウゼン国際短編映画祭が開催され、そこで日本から出品された山城知佳子監督の「土の人」(劇場版、2017年、26分)がZONTA(ゾンタ)賞という、女性作家に贈られる賞を受賞した。その受賞理由にもこのsetzen sich mit auseianderという言葉が使われていた。戦争やその続くトラウマに、圧倒的な映像とユーモアを持ち合わせながら向き合っている、というものだ。
「土の人」の舞台は沖縄の辺古野と韓国の済州島。どちらも基地建設問題に振り回される地である。しかしその問題は直接この映画の中で語られることはない。
大らかな自然の風景の中で自然の声に耳を傾ける人々の姿がゆったりと描かれる。が、突然人々の目の前に現れた戦場の幻想に彼らは驚愕し、恐れ戦きながらも生き延び、そして再び自然の中、咲き乱れる白ユリの根元に横たわった人々が、花の間から空へと手を伸ばすそのラストシーンには希望がうかぶ、というような物語が断片的かつ斬新な映像表現で語られる。
1976年生まれの山城監督は私と同世代。戦争には直接経験のない世代ではあるものの、沖縄出身で今も在住する彼女の環境では、戦争は語り継がれてきたものだそうだ。合間に挿入される、米軍が記録した沖縄戦の映像、そして現在の沖縄の基地建設反対運動の映像は、彼女の「そして忘れない」という向き合い方である。
先述の社会学の先生いわく、ドイツでも、もう終わらせよう、とする声も少数ではあるが、存在するとのこと。がしかし、けっして終わらせてはいけないのです、何度でも思い出し、そのことを考えなければ、と力を込めて語っておられた。
人間は弱い。嫌なものからは目を背け、忘れようとし、忘れる。自分の記憶すら書き換えてしまうことさえある。そんな弱さがあるからこそ、敢えて私たちは、「忘れてはならない」と肝に銘じなければならないのだ。そしてありがちなことは、傷を負わした者はすぐにそのことを忘れるが、負わされた者はその痛みとともに、忘れることができないことだ。
忘却は罪である。終わらせず、思い返していくことでのみ、傷は癒されない。直接傷を負わせていない私たちにでさえ、この思い返す作業は、ときにやや苦い思いを抱かせる。しかしそんな少しの苦さで、結果もっとオープンに心を開ける社会ができるのなら、私はそちらを選びたい。
何度も、過去に蓋をして終わらせようとしては、蓋を閉め切れない日本の社会や政府にも知ってもらいたい。蓋を閉め切ることはけっしてできないだろう。傷を負った痛みや恨みは、その蓋の下からどんなにしても再び膨れ上がってくる。ならば、開けてしまったほうがよいのだ。怖じ気づいて必死に蓋を抑えるよりは、一気に出して、ひのもとに出して膿を出してしまったほうが、きっと明るく健全な世界になるだろう。そう取り組み続けるドイツの社会を見て、そして「土の人」を見て、思う。
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ドイツ・オーバーハウゼン国際短編映画祭で、ZONTA賞を受賞した山城知佳子監督。
「土の人」(劇場版、2017年、26分)は、6月2日〜15日まで、那覇市の桜坂劇場での特集上映「接近する映画とアート」にて上映、また9月29日〜10月21日まで横浜市民ギャラリーあざみ野で開催予定の展覧会「今もゆれている」で展示上映されます。お近くの方はぜひどうぞ!