11月も半ばのこと、とある子供のワークショップの撮影を手伝うことになった。郊外の児童館で2日間行われたこのワークショップとは、視覚障害者向けの映画の音声ガイドを作る体験をするというもので、講師の一人は実際に視覚障害を持つ映画の評論家である。彼女のプロフィールを事前に聞いたときは正直、目が見えないのに映画の評論?と失礼ながら思ってしまったのだが、当日彼女と話をしてみて驚いた。彼女はまさにその音声ガイドと共に映画を「見て」評論を書くのだが、私が日本人だと知ると、河瀬直美監督の「光」の話題を振ってきた。日本でも既に公開されているこの映画の主人公は映画の音声ガイドの制作者で、今回の話と重なる。ドイツでの上映も音声ガイド付きで公開されたそうだ。河瀬監督は特に映像に重きを置いた表現で知られるが、彼女はしっかり耳からその映像表現を見、監督のスタイルを捉えて批評していて驚いたのだ。
さて、講師が視覚障害を持つ人なら、参加者の子供たちもまた健常者と障がい者の両方だった。この児童館は「共生」をモットーとするインクルーシブ教育の実践を目指していて、普段からここを訪れる子供たちは皆一緒になって様々な活動に取り組むのだそうだ。今回は参加者の10人中の6人が知的障がいを持ち、10歳から16歳くらいまでという年齢幅もある子供たちだったのだが、さてどうなることやら。障がい者学級や普通学級のように一定のレベルでまとめられたわけではないこのワークショップがどう進むのか?
このワークショップを企画し運営しているもう一人の女性講師の掛け声でワークショップが始まり、自己紹介を順々にしていく。舌足らずでゆっくり喋る小児まひや発達障害の子供、ダウン症の子供に自閉症の子供。確かに彼らは話し方も行動も思考もやや遅くてマイペースである。が、しっかりと自分の意見を口にする、または自分の意見をまとめてみようと務めていて、マイペースであっても、他人の言うことには耳を傾けようとし、他人に気づかいを見せる。
そこに加わるは、非常に頭の回転は早いが集中力が続かないゆえに進学コースから落ちこぼれた男の子、そして同じく頭の切れるしっかり者の彼の妹。この児童館に研修生として入ってきた十代後半の男の子にアラブ系難民の男の子、という面子。それはなかなかユニークなグループだった。
この多彩なメンバーが一緒になって意見を出し合い、ビデオカメラを回したり、ナレーションや台詞を考えたりと、共同作業をする。誰かが遅くても、ふざけたりしても、それをバカにしたり意地悪したりする子は一人もいない。意見を交わす、相手の話に耳を傾ける、譲り合う、助け合う、というコミュニケーションがまったく普通に彼らの間に成立している。もちろん所々で児童館のスタッフのサポートは入るが、基本的には子供たちが自らそうした行動を取っているのだ。私はカメラを回しながらその彼らの様子に心打たれ始めていた。
いつもニコニコして皆の妹分のようなダウン症のイレーナに、大人顔負けに頭の切れるエリックがやさしく丁寧にナレーションの吹き込み方を教える。またお前かよー、と皆に言われながらもふざけっぱなしのアリは母国語ではないドイツ語に苦戦してなかなか台詞を覚えられない。が、台詞をうまく言えないのはのんびりマイペースのマリアも同じ。あー、またダメだー!と曲がった指でなんども口を押さえながらも頑張って挑戦する。発達障害のソーニャはその隣でやれやれ、という顔をしているが、それでもマリアの練習に一緒に付き合う。意見を次々に繰り出して台本を作るエリックだが、皆のゆっくりペースに付き合っている。そんな彼らの様子は、何ら特別なこともない、いたって「普通」の子供たちの光景だった。
インクルーシブとは、障がいを持つ子供を含む全ての子供たちに対して、一人一人適切な教育指導を与えながら、同じ学級で共に学ぶこととされているが、その本質は、そもそも一人一人が違う個性を持っているということを前提にした教育なのだそうだ。つまり、障がいも個性と捉えるのだが、私がこのワークショップで見たことはまさにそれだった。彼らを見ている間、「障がい」という言葉が浮かんだことは一瞬もなかった。だって本当に皆、私の知っている「普通」だったのだ。誰かが特別、というわけでもなく、しかし皆がそれぞれのユニークなキャラクターを持っていて、実に愉快で素敵なクラスだった。
そう、それはまるで小さなユートピアだった。こんなにも多彩なキャラクターが、それぞれの意見を口にし、耳を傾け、互いを気づかい合う。たとえ意見が食い違っても、ふざけている仲間がいても、彼らのささやかな優しさや労りがその合間を行き交うその様子に心打たれた。彼らを見ながら、障がいって何だろう?とその言葉を不思議に思った。振り返れば今の世の中、たとえ健常者であろうと立派な肩書きや地位や知識があろうと、他人とコミュニケーションが取れなかったり他人を平気で傷つけたりする人も多い中で、そうした人間の方がよっほど社会的人間として障がいをおっているんじゃないだろうか。目の前の子供たちに私たちが学ぶべきことがたくさんある。
ああ、こういう共生って、本当に可能なんだ、と思った同時に、側で見ている私までが幸せを感じた素敵なひとときだった。
© Aki Nakazawa
ワークショップの一コマ。タブレットのカメラ機能で撮影をし、自分たちで編集もするなんて、デジタル時代の子供たちですねえ。
ワークショップの様子はこちらのビデオでも見ることができます。この皆の笑顔といったら!
https://www.facebook.com/aktion.mensch/videos/vb.75159424764/10155695549474765/?type=2&theater