この1年は世界中で大きな選挙が続く。米国にフランス、そして来たる9月にはドイツの国政選挙がある。米国やフランスと同じく(もちろん日本でも)、ドイツの選挙でも台頭してきているのがいわゆるポピュリスト。不安定な社会に疲弊した心に響く(私からしてみれば、付け入る、だけど)甘い言葉を語るが、その内容はなかなか非現実的で薄っぺらい。ゆえに政策も有言実行とならない上に、そんなこと言ったっけ?とのたまう政治家たち。エリート主義と対抗するその思想に加えて、嘘つきというところまで世界共通なのはなんでだろう?これもグローバリゼーションの影響でしょうか?
ドイツのポピュリスト政党は、AfD/Alternative für Deutschland(ドイツの為の選択肢)という政党である。このAfD(アー•エフ•デー)、そもそもは2013年、ギリシャの経済危機をきっかけに陥ったユーロ通貨救済対策にドイツが大きく出資しなければならないことへの反発からハンブルグ大学の経済学の教授が立ち上げた政党で、当時の主張はちょっとおもしろいなと私も思ったし、私の周りにも同じような感想を持つ人たちがいた。
それから数年後、一昨年辺りからだろうか、ドイツへの難民大流入をきっかけに再び外国人排斥主義者たちの動きが活発になってきていた頃、このAfD党の名前も再び頻繁に聞くようになり、いつのまにかこの党は難民移民の受け入れ反対を声高に過激に叫ぶ極右政党になっていて、あれれ、とビックリ。立ち上げ人の教授は離党し、代わりに党の顔として注目を集めるようになったのがフラウケ•ベトリという女性党首なのだが、この人がこれまた結構なトンデモ発言をする人で、例えば自身は5人の子供の母親なのだが、ドイツ人各家庭が3人子供を作れば移民の受入れは必要ない、ゆえに中絶法にも反対、とか、とにかく問題をすり替える論法や、挙げ句にはマスコミを嘘つきと呼ぶところとか、うーん、書けば書く程、ああ、米国やフランスや日本にも居る居る、と思うザ•ポピュリスト。米国やフランスや日本にも居ますね、こういう人。
もちろん彼女だけでなく党全体としても、これだけ脱原発を推進している中で原発復活を唱えるとか、とにかく何か反対したいらしい、としか思えない幼稚な論理を展開するので、まあこんなの、たいして相手にされないでしょ、と思いきや、昨年のドイツ東側の2つの州議会選挙では20%以上の得票と勢力を伸ばし、ドイツ社会に衝撃を与えた。もっともこれがある意味カンフル剤となったか、若い世代も含めて改めて投票の意義や棄権の危うさを知る機会になったようで、今年に入ってから10代〜20代の若い世代の政治への関心が高まってきているらしい。ふむ。若い世代が危機を持った、ということは、じゃあ、いったいポピュリズムって誰が支持しているんだろ?
私の身近にはこの政党を支持する人はいないし、出会ったこともない。あれかな、暴徒デモなんかでニュースに写る極右のパンクとかフーリガンとかかな。もっとも直接彼らと話したことはないので、これもまた偏見だけれども。
そんなある日、私の住む地区の議員を勤めている知人とその話になった。彼女は普通の会社員ながら、週末の空き時間などに難民や貧困家庭の世話役をしたりしている。ドイツの二大政党の一つの正式な党員でもあるが、地区議員は無償の仕事。でも、ちゃんと選挙で選ばれるのよ、と言う彼女は、政治の事を身近な暮らしの状況からよく知っている人だ。
外国人居住者が多い大都市のケルンでも、特にこの地区は移民を始めとした外国人が多く住み、多文化共生をモットーとしている所でもある。そんな場所に住んでいると、外国人排斥なんて聞いても実感がない。ポピュリストの主張は、ドイツ人の為のドイツ、という、まさにドイツファーストの考えで、きっと年齢層の高い保守派の人が支持してるのだろうと思いきや、そうでもない、とその彼女は言う。うちの母くらいの年代、特に戦争を経験している年代は、難民にも理解があるのよ。空襲で家を失って、戦後もボロボロの町で助け合いながら生きてきた経験があるから、戦火を逃れてきた彼らの状況がよくわかるんですって。
じゃあ、やっぱり極右のフーリガンとかが支持してるのかな、と言うと、うーん、それもあるけど、意外と中年の中層階級の人たちにも支持者がいるのよ。例えばね、と彼女は職場の同僚の例を話し始めた。
同僚はよく難民の文句を言うのよね。彼らが来たせいで、私たちが働いた分の税金が使われるなんて納得いかない、と。自分は毎日働いているのに、彼らは働かずにお金を貰っている、って。でもね、働いてお金を得られる仕事があるってことはとっても幸せなことなのよ。難民の人たちだって、祖国では仕事があって生活があった。それを戦争で失って、言葉も文化も違う国に住まなくてはならなくて、未来が見えない不安の中で生きている。そんな人たちを羨むなんて、間違ってる。家賃の高騰で自分は都心部に住めないのに、難民は住居をあてがわれているのも気に食わないって言うけど、小さな部屋に大家族が一緒に暮らすストレスの状況と比べるのもおかしいし、そもそも同僚は郊外の家から毎日車で通勤しているのよ。車を手放して、月に数万円かかるコストを家賃に回せば都心部に住む家賃に足りるわよ、と言ったら、車を手放すなんて考えられない、って言う。でもね、人生って何でも手に入るわけじゃない。アイスもケーキも両方食べたいなんて、無理よ、と彼女は憤る。
そういう人たちがポピュリストを支持していたりするのよね。不満のはけ口の向け先が間違ってるわ。
彼女の話にものすごく納得する。そういえば日本でもいわゆるネトウヨと呼ばれる人たちに中に、経済的にも割と余裕のあるエリート層にもいるのだ、と聞いて愕然としたことを思い出した。不満のはけ口を弱者に向ける、それはフーリガンであろうとエリートであろうと同じなのか。そしてその不満は、もしかしたら政治的、社会的な理由なんかじゃなく、実は自分個人の心が何か満たされないことにあったりする。物質的に豊かな社会に生きながら、アイスもケーキも両方手に入れられないことに折り合いをつけられない。だとしたら、ポピュリズムは世界的に流行する現代社会の病だなあとも思う。なんて気味の悪い…。
別の友人が、とある放送局が主催したジャーナリズムのコンファレンスの記録撮影の仕事の際に、ジャーナリストたちの討論を聞いてガッカリしたという話をしていたことを思い出した。テーマはジャーナリズムとポピュリズムということで討論自体は大いに盛り上がったが、ポピュリズムはいかん、ポピュリストたちに毅然と立ち向かわなければという話だけに終始して、納得がいかなかったと彼は言う。なんかもっと突っ込んだ話になってほしかったんだよね、と。
ポピュリストも怖いが、もっと怖いのは、そのポピュリストを支持する人たちがいる、ということだ。その不満の原因を直視していかなければいけないのだけど、それって突き詰めると、政治の話だけじゃなくて、個人の心の話になってしまうと思うと、ものすごく難しい問題だなと思う。そんな中で秋のドイツの選挙がどうなるか。選挙権のない在独外国人の私にも、その結果の意味と影響は大きいのだ。
© Aki Nakazawa
近所の商店街の店並び。真ん中のドイツ語の看板を掲げたカフェの左隣はタイ料理店、右隣はトルコ系のパン屋と、実にインターナショナルな組み合せ。
© Aki Nakazawa
町を歩く人たちの容貌も実にさまざま。これがここの日常です。外見はヨーロッパ系でなくともドイツ国籍を持った人たちも多い現代社会において、彼らのうたうドイツファーストのドイツとは何を指しているのかも理解し難い。多文化が共生するケルンでのAfDの党大会は、複数の団体が反対デモを行ったり、大会参加者数も予想を大きく下回ったりと、あまり盛り上がらなかったと聞いて、ちょっとほっとしています。