5月7日、フランス大統領選の決選投票は、EU離脱、移民・外国人排斥を掲げるポピュリストのマリーヌ・ルペン(FN国民戦線)と親EU 、グローバリストのエマニュエル・マクロン(En Marche !前進)の対決となった。
決選投票の一方にルペンが残ってしまえば、後はとにかくルペンを大統領にしないために対立候補に票が集まるので、マクロンが勝利すると予想されている。現に第一回投票の開票日には、決選投票はマクロンに投票するという声が6割を超えていた。だからなのだろうか、マクロン候補はその夜、サルコジが大統領に当選したときに開催したような派手なパーティーを開催した。
しかし、2002年にマリーヌの父ジャン=マリ・ルペンが決選投票に残ったときに、極右ルペンを抑えるべく大規模なデモが起こり、右も左も「共和戦線」を張ってジャック・シラクを80%を超える投票で当選させた、そのシナリオは今回、繰り返されていない。
ルペンを嫌悪しながらもマクロンに投票する気になれず、棄権、白票を選択するフランス人が日々増えており、マクロンの勝利は動かないものの僅差、まかり間違えばルペン当選の可能性すらささやかれはじめた。それを受け、メディアやSNSのあちこちで投票を呼びかける声が起こっている。
そもそも、第一回投票の選挙戦は終盤、公金横領スキャンダルにもかかわらず保守の底力を見せてじりじりと持ち直したフランソワ・フィヨンとラストの数週間でうなぎ上りに支持を増やした極左のジャン=リュック・メランションが上位二候補に迫り、誰が決選投票に残るか四つ巴となった。が、勝負がついてしまえば、結果は事前の世論調査の予測通り。
失望したフィヨン支持者とメランション支持者は、反ルペンのかけ声だけで簡単にはマクロンに投票しない。フィヨン自身は第一回投票の結果が分かった直後、マクロンへの投票を呼びかけたけれども、もともとカトリックを中心とするフィヨン支持者は「国民」や「家族」についての考え方に関しては、マクロンよりルペンの方に近い。フィヨン支持者の幾分かはマクロンでなくルペンに流れるだろうし、そこまでしなくても社会党の内閣で経済相を務めたマクロンは彼らにとっては左翼、投票する気にはなれない人も多い。
一方、メランションは、「マクロンに投票せよ」という指示を出さなかったため、方々から非難を浴びているが、TAFTA(大西洋自由貿易協定)反対にしても、改正された労働法の廃止にしても脱原発にしても、メランションの掲げた政策はマクロンとは真っ向から対立しているのだから、一夜にして豹変するわけにもいくまい。メランションは「ルペンに投票するな」とは言っているが、結果的に棄権、白票を認める形になっている。
今回の決選投票は、伝統的に第五共和制の政権を担って来た右派(現共和党)と左派(社会党)の候補がともに排除され、マージナルだった極右政党と新しい動きの中道勢力の闘いになったとも言われているが、実はそうすっきり言えない面もある。
マクロンは、既成の政党の外で生まれた「変革」のイメージを打ち出しているが、形はともかく内実はそれほど新しくない。それどころか、政策の多くは2012年のフランソワ・オランドの政策の焼き直しだ。マクロン自身、オランドの政権下で経済相を務め、日曜営業をやりやすくするなどを盛り込んだ法律を首相マニュエル・ヴァルスとともに作った人である。この法律は採決すると否決されそうだったので、憲法第49条3項(民主的手続無視という点で日本の強行採決のようなもの)を使って採決せずに成立させた。オランド大統領は、ドイツの首唱する緊縮財政に反対するという選挙公約を破って緊縮財政路線を進め、従来の左翼支持者の支持を失って行ったのだが、マクロンはこのオランドの「裏切り」を象徴するような人物だし、その路線をまっすぐ継承する政治家だ。
これに対し、大統領選に社会党候補として立ったブノワ・アモンは、オランド路線に対立して閣僚を辞任した人で、政権下で成立した労働法の撤回など、現社会党よりも左の政策を打ち出して社会党の変革を目指していた。アモンは、7%に届かない得票で惨敗したけれども、それは社会党が割れてヴァルスなどの社会党右派がマクロンに合流してしまったからだ。アモンの敗北は現政権の不人気も手伝ったけれども、現政権の敗北ではない。現政権のエッセンスはマクロンに受けつがれて生き延びたと見るべきだろう。(もちろん、右派と左派に完全に分裂してしまった社会党が大変な痛手を負ったことは間違いないが)
このように見て来ると、フランス大統領選のマクロンVSルペンは、アメリカ大統領選のヒラリーVSトランプの構図に似て見えて来るだろう。トランプを制することができたのはヒラリーではなくサンダースだったと考えたアメリカ人たちが、「我々の轍を踏むな。メランションに投票せよ」と第一回投票前に声明を出していたのは、そういう理由だったと思う。
マクロン対ルペンは、既得権、エスタブリッシュメントVSグローバル化のしわ寄せを受けて不満をためた庶民、変革を望んだ人々の構図でもあり、この社会の不満を解消できなければ過激な結果が起こりうる。
最新の投票意識調査によれば、棄権は増えているがルペンへの投票は増えていない。余裕綽々とは言えないが、5月7日には、マクロンが勝つことと期待する。しかし、勝ったとしても、その政治がこの不満に対処できなければ、どうなるのだろう。マクロンは未知の人だ。政党ではなく金融資本を背景にして、大統領選がはじめての選挙という39歳だ。フランス人はこんな人に大統領の大任を任せてしまうのか、という驚きがないではない。けれど人種差別的ナショナリストに国を任せてしまうわけにはいかないのだから。フランス国籍を取得していないので投票することができない私だが、もし私に選挙権があったら、ちっとも良いと思わないマクロンに私の一票を投ずるだろう。そういう人がたくさんいることを願う。