革命記念日の夜、ニースでトラックの運転手が花火を見に来ていた群衆のなかに突っ込み、86名の死者を出した事件はまだ耳に新しいことと思う。
この事件を受け、フランスでは「緊急事態」宣言がまたもや6ヶ月延長された。「緊急事態」は昨年11月のパリのテロ事件の直後に発令され、本来12日間しか有効でないはずなのだが、国会の承認を得れば延長できるということで、すでに3回延長されていた。今度こそ7月26日で解除になるという矢先の4回目の延長である。
こんなに長期間、発令されたままになるのでは、本当に「緊急事態」なのだろうか。このまま常態化してしまうことが危ぶまれる。
テロがこんなに起きているのだから「緊急事態」は解除できないという理屈かもしれないが、「緊急事態」下にあったのに、ニースのテロは防げなかったのだから、有効でないとも言えるだろう。
最近の世論調査によれば、フランス人の78%は、いかなる対策を取ってもテロを100%防ぐことはできないと考えており、政府が優先的にすべきことは、テロリストを生むジハードのプロパガンダとの闘いであると86%が考えている。テロを防ぐより、テロリストになることを防ぐ方が現実的だ。
実際、11月のテロの直後には、フランス人の8割が「緊急事態」発令に賛同していたが、7月23日の調べでは逆転して過半数の54%が有効性を疑っている。
フランスの「緊急事態」法は、危険と思われる人物の自宅軟禁、多数の人が集まる屋外集会の禁止、令状なしの家宅捜索などを許可する(1955年に出来たこの法律には「報道規制」も含まれていたが、これは今回、削除した)。たしかに11月のテロの直後には、犯人を逮捕したり、次のテロを未然に防ぐ役に立った面もあっただろう。しかし全体的に見れば、数千人を家宅捜索して、数百人を自宅軟禁して、告訴につながったのは20数件に過ぎないのではどれほど有効と言えようか。しかも8ヶ月も経った現在では、警察のリストに載っていた疑わしい人物はすでにすべて捜索を受けてしまっているから、これを延長することにどんな意味があるのだろう。
しかし有効性の疑わしい「緊急事態」を延長するに際して、権力は微妙に適用の対象を変えているから、まさか今後は新たな人間が対象になるというのだろうか。最近、諜報活動法が改正されて、諜報の対象が、今まではテロを犯す危険があると目された人物に限られたものが、今後はその人物と関係があると思われる」人物にまで広げられた。「テロをやるかもしれない人間と関係がある」とまで言われたら、テロと関係のない人間がどれほど含まれるだろう。
こうして少しずつ、人々は監視され、自由を狭められて行くのかと思う。始めは犯罪を準備していた人だけ、次は犯罪を犯しそうな危険があるというだけの人物、次にはそういう人物とつながりがあるというだけの人物… 自分とは関係のない危険人物だけが取り締まられるのだと思っているうちに自分の首が閉まっているのだ。
私の日常に目立った変化はないが、パリではこの夏、あちこちの庭園や公園で行われるはずだった野外映画上映やバスケットボールの大会が中止になった。夫が準備していた高校の同窓会のイベントも中止になるだろう。そんなものは言論弾圧と言われるような恐ろしいものではないと気にかけないでいるうちに、できることの幅が狭められるのに慣れて行くのがおそろしい。
憲法学者のオリヴィエ・ボーは、昨年12月の時点ですでにこう言っていた。
「緊急事態宣言には独裁につながる二つの深刻な危険がある。警察に与えられる例外的な権力の濫用と何度も緊急事態を延長することでそれが状態になってしまうことだ」
この言葉を、参院選の後、急に改憲の話が浮上して、最初に手をつけられるのは「緊急事態条項」だろうと言われている日本の人々にも贈りたい。(災害などの)非常時に、憲法の保障する三権分立を一旦停止して権力を首相に集中させ、国会を通さずに閣議で法律と同等のものを作れるようにしたり、やはり憲法の保障する基本的人権に制限を加えたりすることができるようにする、自民党の改憲草案によるその内容は、フランスの「緊急事態」法よりも、できることの規定も制限の規定もずっと緩い。
緊急事態条項は、その性質上、濫用の危険、常態化の危険が大きいことを、フランスの例を他山の石として、知っていて欲しいと思う。