東京に里帰りしたとき、『フランス人は10着しか服をもたない』(ジェニファー・L・スコット著 神崎朗子訳 大和書房)という本がベストセラーになっていてビックリした。いくらなんでも10着ということはあるまい、それでは着たきり雀がわずか水浴びをした程度になってしまうと思って手に取ってみたら、ハンガーにかける服が10着ということだった。つまり10着はちょっとした誇張で、要するにおしゃれは量より質だという、わりと常識的なことが書いてあった。
フランス人がみんな、著者のホームステイ先のマダムのようであるとは言えないけれど、良いものを少数持って日常的に使おうという考え方は、たしかにフランスではわりと一般的だと思う。フランス人は堅実なのだ。私にはむしろ、いちいち驚く著者の、アメリカの常識のほうが奇想天外で、アメリカ娘のズレっぷりが興味深かった。
長年フランスで暮らしていると、いろんなフランス人を目にするので、フランス女性が必ずしもみんなシックだとかおしゃれだとか、思わなくなってしまう。けれども、一定の守られている規則のようなものがあるとは思う。定番の、誰でも持っていなければならない基本の服というのがある。日本人にはそれがないので、日本の街を歩いていると非常に無秩序な感じがする。ついでに言えば、フランス人はあまり柄物を着ない。着る場合は、全体のなかで一点のみだ。基本が無地のものだけであることも、アイテムの点数を少なく、着回しを簡単にしている理由だろう。経済的でもある。日本人は柄物を好んで着るようだけれど、あれは着物の名残なのだろうか。
アメリカではフランス女性の評判はとても高いらしい。『10着』のような「フランス女性もの」は一大ジャンルを成しているようだ。 Mireille Guilianoの« French Women don’t get fat »とか、 Jamie Cat Callanの« French Women don’t sleep alone »とか、 Debra Ollivierの« What French Women know about love, sex and other matter of the heart and mind » とか、日本でも続々、ベストセラーになりそうだ。と思って試しに検索してみたら、すでに『フランス女性は太らない』は翻訳されていた。これはアメリカ人ではなく、アメリカ在住のフランス人が書いている。
なるほどフランス女性はヨーロッパでは一番痩せているそうだから、アメリカ女性には羨ましかろう。お手本にすべきではと本を書いた著者の、少々自画自賛的な親切心も分からないことはない。しかし日本でも翻訳するとは、アメリカ人につきあいが良過ぎないか? フランス女性はアジア女性の隣に置いたら、まったく痩せていないのだ。私などでもフランス人に混じっていると、太っているとは微塵も思わずに暮らしていける。日本に戻るとそうはいかない。周りの女性がすっきりと細すぎる。日本でこの本を出すなら『フランス女性は痩せすぎない』あるいは『フランス女性はセクシーに太る』ではないだろうか(しかしこれでは売れないかもしれない…)
フランス女性はセクシーだとは思う。同じデザインでも日本の服より胸が開いている、といったことは前に書いたことがあるが、見せるところは見せながら、決して露出しすぎない。日本に戻ると、ときどき、素人に違いないお嬢さんが、フランスであれば「娼婦」の営業用と見られる格好をして昼の街を歩いていて驚く。そういうところもフランスのドレス・コードは保守的なのかもしれない。
『10着』に話を戻そう。
「自分によく似合う、気に入った、品の良いものを、少数でよいから多少お金をかけてでも持ち、長年にわたって着る」というのは、実際、最も経済的なおしゃれとも言える。フランスのマダムを真似なくてもできそうに思うけれども、マダムがくれるのは「シック」というお墨付きなのだ。「フランスの人はいいですね。気に入ったブランドもののバッグを何年使っててもよくて」と、知り合いの女性誌編集者がこぼしていたことがある。「日本でこの業界だと、最新のコレクションしか持てないんですよ」と。
フレンチ・マダムのシックを真似するのは、そういう内外のしがらみのある人には、とても便利だろうと思う。