玖保樹です。一年あっという間ですねえ。皆さんにとって2018年はどんな年でしたか? 私はあんまり言いたくないです……。
さて年の瀬も迫ったこのタイミングで大いに我々をザワつかせたものといえば、『ちょうどいいブスのススメ』ですね。
『ちょうどいいブスのススメ』とはお笑いコンビ・相席スタートの山崎ケイさんの同名エッセイ(発行は主婦の友社)を原作にした、1月10日スタート予定の深夜ドラマのことです。当初の情報では「『イケてない女子』が3名登場」し、主演の夏菜は「自己表現下手くそブス」で、残る2名(高橋メアリージュン、小林きな子)も「何かしらの生きづらさを抱えて」いて、「モテない美人よりモテるブス!」とありました。これに対して「夏菜や高橋メアリージュンのどこがブスだ!」「失礼だろ」というツッコミが激しく沸き起こりました。が、それ以前にTwitterなどでは「さすがミソジニー大国日本。こんな呪いを振りまくドラマ最悪だ。」「自分を卑下してうまく立ち回らないと生き辛い世の中っておかしくない?」といったように、わざわざ「ブス」を自称しそのへんの男に「ちょうどいい」と思われようという卑屈な考えの押し付けに、強い反発が生まれていました。12月21日に制作局の読売テレビはタイトルを『人生が楽しくなる幸せの法則』に変更することを発表しましたが、「女をバカにしてる」と、怒りの炎は収まる気配がありません。そりゃそうでしょうよ。これまでの炎上から少しは学べよと思います。
でもこの「ちょうどいいブス」って表現こそ違えど、「高値の華よりも親しみやすさがモテるカギ!」「ツンとすました美人より、女の子は笑顔が一番!」みたいな感じで、女性誌界隈でずっと推奨されてきたのは事実です。そして私がまだ若かった頃、私の周りではもっと恐ろしい言葉が普通に使われていました。それは「この程度の女」というものです。
当時、知人男性数人と一緒にいると、「●●さんがいい」みたいな話になることがよくがありました。で、彼らは●●さん推しの理由を「彼女程度の女だったら、俺でも相手にしてくれそうだから」と、しれっと語っていました。イケてない俺に釣り合うのは●●さん程度って、それ普通に●●さんに失礼だろ! ということで今だったらキレるか、無言で去ってSNSを全ブロックするかすると思います。でもその頃の私はスルーしていました。そして時に自分も「この程度の女」扱いをされていたことを自覚していました。
20代後半から30代前半にかけての私は、なぜかモテました。美人という訳ではないのですが、「この人なら、俺にも優しくしてくれるだろう」と思われる風貌だったようです。でも振り返るとどいつもこいつもしょうもなくて、現在消息がわかる者は一人もいません。それどころかモラハラ気質とかマンスプレイニング(男が女に偉そうに講釈をたれること)が大好きとか、関わったこと激しく後悔するような男ばかりでした。
なぜこんなのばかりを引き寄せていたのか。それは私がまさに「この程度の女」認定されていたからです。「この程度の女」を狙う男は大抵ズカズカと人の領域に踏み込み、あの手この手を尽くします。なぜかこの手の連中は彼氏がいてもお構いなくやってくるし、中には既婚者もいました。で、私はそれを「ひょっとしてモテてる……?」と盛大に勘違いし、真面目に気に病んでいました。嘘や甘言も正面から受け止めてました。それでも一見モテてるようには見えるので、女友達から「あんたはいいねえ」と言われることもあり、そんな時はなぜかちょっと得意になっていました。
今思うと当時の私は、自己肯定感が異様に低かった。だから見せかけだったとしても好意を寄せてくる相手を、まともな人扱いしていたのです。むげにできず、時に押し切られても「こんな私でもいいって言ってくれてるし……」と困りながらエクスキュースする女だったのです。彼らはそんな心の弱さを瞬時に察知し、「この程度の女だったら俺のプライドを傷つけないだろう。俺の思い通りにできるだろう」と、気安く誘ってきたに過ぎないというのに。
そこで皆さんにはぜひ肝に銘じて欲しいのです。「ちょうどいいブス」や「この程度の女」は、相手に付け込まれるだけだということを。それはモテてるのとは違います。自己肯定感が低い女性をターゲットにして、「これぐらいなら俺でもイケる」「このぐらいなら俺にちょうどいい」と思うような男は、女性をバカにしてるに過ぎないのです。
また自己肯定感は、男に求められることでは決してあがりません。徹底的に自分を見つめなおし、本当の願いや思いを整理した上で、自分で自分を認めることでようやく取り戻せます。「こんな私でも必要としてくれるから」と変な男と恋愛ぶってる暇があるなら、1人になって気持ちを整理することにつとめましょう、と言いたいです。
もちろんここに集う皆さんは、『ちょうどいいブスのススメ』なんてケッと一蹴するとは思います。でも心が弱っていたり、嫌なことが続いたりするとそのススメが一見正解に見えてしまう瞬間がないとは言い切れない。だから戒めと自分の過去を振り返って総括する意味もこめて、恥ずかしながら告白しました。
しかし2018年の玖保樹は、恥ずかしながらの告白ばかりしてきたな……。2019年は恥ずかしくない告白ができるように精進したいよ。では皆さん、よき2019年をお迎えください。