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差別を見抜く力を育てるために

李信恵2016.10.31

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先週は大阪で相次いで発生している差別事件について書いた。大阪のおばちゃんとして、何ができるんだろう、差別を見抜く目を持ちたいよねって、そう考えていた矢先。自分もまた反省しなきゃいけないと思わされる出来事があった。

10月18日から、奈良で行われた部落問題の研究集会に参加した。先日、このコラムで「うな子」の問題について取り上げたんだけど、その際に、AGFのブレンディのCMについても少しだけ触れた。ちょうど、参加した分科会でその件に関しての報告があった。

このCMは、高校の卒業式が舞台だった。鼻輪を付けるなど擬人化された牛(生徒)が、卒業後の進路を卒業証書授与の際に校長から知らされるというもの。動物園に就職するもの、食肉になる進路を暗に示されるもの、一番優秀だったものが特別な牛乳を出すために「挽きたてカフェオレのブランド会社」に就職するという内容だった。

自分はこのCMは「女性差別」との認識しかなかった。ネット上などで問題視されたもののほぼすべてがその視点からしかなかったし、実際にこのCMでは乳牛と人間の女性を同一視しており、胸の豊かさを強調するなど、性を商品化していた。また、未成年を性的な視線で見ていることも問題だった。けれど、自分を含め、多くの人々にはもう一つの差別である、「部落差別」が見えてなかった。

CMでは「夕日丘動物園」に進路が決まった生徒は喜び、周囲は拍手でそれを祝う。しかし、「田中ビーフ(改訂版では吉川コーポレーション)」へ進路が決定した生徒は泣き叫び、周囲は動揺を隠せない。この部分は、実は「食肉になること」が「残酷で悲惨な進路」として描かれているのであり、食肉を作っている、と畜解体に従事する労働者を「残酷な進路をつくっている存在」とみなしているのだが、自分はその点にまったく気が付かなかった。

日本のと畜解体業は被差別部落の歴史的・伝統的な仕事でもあった。1922年の全国水平社の創立宣言には、「ケモノの皮剥ぐ報酬として、生々しき人間の皮を剥ぎ取られ、ケモノの心臓を裂く代価として、暖かい人間の心臓を引き裂かれ、そこ下らない嘲笑の唾まで吐きかけれらた、呪われの世の悪夢のうちにも、なお誇りうる人間の血は枯れずにあった」とあるように、と畜解体や皮革産業に携わる中で、部落差別、職業差別は歴史的に厳しいものがあった。

現在は、部落出身者以外の人たちが多く働いている。しかし、と場労働者に対する職業差別は未だに、根強いものがある。自分たちはおいしい肉を食べておきながら、と場で働く人に対しては「動物を平気で殺す怖い人たち」と差別的なまなざしを持つ人も多く、差別も厳しい。

このような現実を踏まえるならば、ブレンディのCMは、部落問題認識の欠如であり、部落差別を増長するものである。(その後、企業との再発防止への取り組みが行われたという)

…報告を聞きながら、すごく恥ずかしくなった。私は「複合差別」の裁判をしている当事者なのに、ほんとうにダメだな。同席した知人たちにそのことを話すと、「部落差別がタブーになっていて、メディアもそのことには深く言及しなかったから」と、少し慰められた。けど、実際はこのCMは複合差別だったんだということを、問題が発覚してから1年も過ぎてから知った自分が、情けなかった。

在日朝鮮人や外国人、女性への差別については、自分が当事者でもあるしマイノリティなので、その「差別」が見える。けれど、一方ではマジョリティでもあるんだなと実感する。部落問題やLGBT、障碍者やアイヌ、沖縄など自分以外のマイノリティへの「差別」は、こんなふうに見えなかったり、感じなかったりする。これが、マジョリティと云う立場の怖さなのかな。差別を見なくても、知らなくてもすむ傲慢さを、自分も持っていた。ほんとうに恥ずかしい。

とはいえ、いつまでも落ち込んでいても前に進まないし、役にも立たない。危うく、もう一つの「差別」を、無かったことにしてしまうところだった。ちゃんと、そこにある差別に気付かせてくれる、そういう知人がいて良かった。

オモニがお世話になっている介護施設のオンニ(お姉さん)と、また話をした。大阪は在日と部落の居住区が隣接していたり、重なっていたりする。けど、なかなかお互いが出会えてなかった。差別される者同士が、お互いを差別したりすることもあった。

また、先日も記事にしたように大阪はひどい事件が続いているけど、先週は東大阪で「第34回朝鮮文化に親しむ東大阪子どもの集い」が開かれた。私も30年前、中学生の時にその舞台に立った。そこには毎年、夜間中学に通うハルモニ(おばあさん)たちも参加している。夜間中学は、学齢期に戦争があったり、貧しかったり、差別などで学校に通えず、義務教育が受けられなかったりした大人が学ぶ場所だ。

部落問題について知ると、部落の高齢者の話がハルモニらのそれと重なる。差別や貧困によって教育を受ける機会が奪われてきたことは、全く同じだ。私たちは在日のことには詳しいけど、こんなに近くにいながらあまりにも部落問題のことは知らなかったよねって、オンニと話した。また、これからもいっぱい知らなきゃ、学ばなきゃ。そしてお互いが繋がれたらいいよねと。

複眼的な視点を持つために、あらゆる差別をちゃんと知るためには、何が必要なんだろう。とりあえず、いろんな場所に出かけて、そこでまた違うマイノリティに出会って、その声を聴くことから始めなきゃ、と改めて思う。そして、知った後に何をするかが問題だ。

ここ最近、沖縄問題に関わる人、部落問題に関わる人に何人か会っている。そのたびに、同じことを何人かから云われた。「現場に行くこと、そこで見ること、感じること。当事者の話を聞くことは大切。だけど、自分が生きている、普段生活している場所にそれを持ち帰って、そこで何が出来るかが本当は一番大切じゃない?」って。

私は、とりあえず大阪でできることをする。そして、書くことから始める。この先も周りのみんなに教えてもらうことばっかりなんだろうな、と思う。出会うこと、知ることは、差別を見抜く目を育てることでもあるよね。

みなさま、これからもよろしくです。

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李信恵

李信恵(り・しね)

1971年生まれ。大阪府東大阪市出身の在日2.5世。フリーライター。
「2014年やよりジャーナリスト賞」受賞。
2015年1月、影書房から初の著作「#鶴橋安寧 アンチ・ヘイト・クロニクル」発刊。 

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