7月16日の朝日新聞に、こんな記事が掲載されていました。なんでも新潟県にある大学で学生間の事件が起き、その件について学長がすべての生徒に対し、「話すと退学させる可能性がある」というメールを送り付けていたそうです。
事件の内容と対応が、まあ酷い。
この大学の学生寮で昨年末、インドネシア人女子学生の部屋にアフガニスタン人の男子学生が侵入する事件が起きました。女子学生が大学の調査委員会に対して「服を脱がされそうになった」と言ったのに対し、男子学生は「酔っていてあまり覚えていない」「誘惑された」と主張。学長はこの発言を受けて「男を調子に乗せるとは女子学生はおろかだったという印象」などと書いたメールを、調査委員などに送ったとのこと。ちなみに学長は調査委員ではなかったそうです。
男子学生は3か月の停学処分になりましたが、不服に思った女子学生や有志が追加調査や男子学生の退学を求める署名を始めたところ、学長は学内の全生徒に向けて処分内容を知らせた上で、「(事件について)話すと退学させる可能性がある」というメールを送ったそうです(詳しくはリンクを見てね)。
私はこの大学を取材したわけではなく、朝日新聞の報道をもとに書いているに過ぎませんので、「推定無罪」の原則は守りたいと思います。大学関係者を個人攻撃するつもりもありません。でもこの事件には、いくつもの一般的な「被害者蔑視あるある」が含まれているので、そのあたりについて触れたいと思います。
まずはいつもの定番「被害者に落ち度」ですね。落ち度どころか「誘惑した」上に「男を調子に乗せるとはおろか者」だから、被害にあっても仕方がないのでしょうか。女子学生は被害に遭わされた上に、なぜこんなことを言われなくてはならないのか。起こった事実は事実として受け止めることが大事だし、2人の間にどんな力関係があったのか。「事を穏便に済ませたい」ゆえに女性が男性に同調することはままあることだし、それはうわべだけではわからないことだと思います。
記事によると大学の監事をつとめる弁護士も、取材に対して「挑発的な行動をとった(誘ったと思わせる)女子学生も賢くなかった」と答えたそうです。もともと「男を調子に乗せる女はおろか」という考えを持っていて、その考えを物事の判断材料に持ち込むとする人に組織をまとめる資質があるとは、個人的には到底思えません。
大学側は7月19日と20日の2回にわたり、朝日新聞の記事についてのコメントをホームページに掲載しています。しかし「被害者と加害者の友人同士の感情的な対立が顕在化」したり「女子学生に好意的な別の男子学生が暴力的な行為により本学の備品を破壊するなどの事案」があったことについては触れていますが、学長の発言についての真偽はありませんでした。
またメールの件は、暴力行為など行き過ぎた行為に対して、学則に基づき「速やかな退学処分もあり得る」という表現で警告したに過ぎないとのこと。そして理事会からは「速やかな収拾と善後処置により、整斉とした学務を遂行できる態勢に復帰すべき旨指示」を受けたそうです。
学務遂行のために、個人が犠牲になるのは仕方がないのでしょうか? 女子学生は被害届を出しておらず、「休学届を出して本国に帰国した」ともありました。インドネシアから日本に留学してきたということは、それ相応の強い意志と目標があったことでしょう。学ぶ夢がくじかれただけではなく、「男を調子に乗せる」と言われてしまっては、本当にいたたまれなかったことは想像に難くありません。もちろん、周りが帰国や被害届を出すなと強要したわけではないと思います。自らの意志で帰ったのでしょうけれど、彼女がそういう考えに導かれたのは、どういう力が働いたからなのか。
もうお分かりかと思いますが、次の「あるある」はそうです、「本人の自己責任」です。
ここ最近、現役や元AV女優、一般の女性たちが「AV出演を強要させられた」と訴える事案が話題になっています。契約をタテに何本もの作品に出演させられ、なかには意に反した内容を強要された人もいるそうです。しかしそんな彼女たちに対しては「金もらっておいて今更何言ってるんだ」「嬉々として100本以上出演しておきながら、何が強要だ! 好きでやってたんだろうが」という物言いが飛び交う始末です。
確かに自分の意志でAV女優になった人もいるでしょう。そこは否定しませんし、異議も申し立てません。でも首をタテに振る雰囲気に持っていかれて逃げ場がなかったり、「途中で気持ちが変わった」という人もいることでしょう。「そうするしかなかった」「嫌だったけど穏便に収めるには我慢するしかなかった」選択を「本人の自己責任」と片づけるのは、乱暴なやり口だと思います。
何のためにどんなものを守りたいのかはわかりませんが、性絡みの事件被害者に対して「おろか」だの「自己責任」だのと貶めるのは、いい加減やめてもらえないでしょうか。それは男性に対してのみ言っているのではなく、そのような考えを持ってしまいがちな女性に対してもです。苦しいんですよ。そういう人と同じ社会で生きるのが。
私には日本を去ってしまった女子学生のこれからが、日本にいた時以上に実りがありますようにと祈ることしかできません。でもこうして声を挙げることで、日本に味方がいることがどこかで伝われば。それしかできなくても、そうするしかないと思ってます。