ソウルのカンナムで、沖縄県うるま市の路上で、東京都小金井市のライブハウス前で、立て続けに女性が襲われる事件が起きました。
ソウルの事件は、セレブタウンでもある江南(カンナム)駅近くにある商店街のトイレで、5月17日に起こりました。23歳の女性が近くの居酒屋で働いていた30代男性に「普段から女性に無視されていた」という理由で刺されて殺されたもので、2人に面識はなかったそうです。沖縄と東京の事件は、すでにあちこちで報道されているので割愛しますが、沖縄の女性はやはり犯人とは面識がなく、小金井市の事件はストーカーによるものでした。
この手の事件が起きると、必ずといっていいほど「被害者の落ち度」がネットやメディアで言及されます。とくに小金井市の事件は、被害者が芸能活動をしていたことから「タレントとファンの距離が近すぎるのが原因だ」「まともなプロダクションに所属していない、地下アイドルだったから」という意見が噴き上がりました。しかし古くは美空ひばりは硫酸をかけられたり、明菜ちゃんや聖子ちゃんもファンに襲われています。バブル世代の人なら、バラエティー番組の『欽ちゃんのどこまでやるの!?』で人気を博した、「かなえ」こと倉沢敦美さんが、サイン会でファンに切り付けられて手首をケガしたのを覚えていると思います。サンミュージックや研音など、当時彼女たちが所属していた事務所はダメだったのでしょうか? いやいや、十分に立派な事務所だったはずなので、このような批判は的外れでしかないと思います。
また「露出の多い服を着ているからだ」「年頃の女性が夜遊びしているからだ」という物言いもよく耳にしますが、女性がブルカをかぶって全身を隠しているアフガニスタンでも、女性が犯罪に巻き込まれる率0%になっていないのはなぜでしょうかね? そして沖縄では1955年には6歳の幼稚園児が、95年には12歳の小学生がいずれもアメリカ兵に襲われています。彼女らは夜遊びしていたんでしょうか……? また今年3月には、40代の女性観光客も宿泊先のホテルでアメリカ兵に暴行されています。まさに「なんでもあり」の状況なので、自分の理屈がおかしいことに、これらの発言をしている人は早く気づいてほしいものです。
だったら女性がオシャレに気を遣わず、ボサボサの髪とよれた服で歩いていたらいいんですかね? はい、「あいつ女捨ててるよ……」とバッシングされること間違いなし! だってこの国は
「女の子はかわいくなきゃね 学生時代はおバカでいい」
「テストの点以上 目の大きさが気になる」
「どんなに勉強できても 愛されなきゃ意味がない」
という歌を、女性アイドルに歌わせてしまう国ですからね。こんな発想も無意味です。
(なこみく&めるみお(HKT48)『アインシュタインよりディアナ・アグロン』より。この曲については前回の記事にて!)
要するに「女であること」で狙われてしまったので、被害者に落ち度など、当然ないのです。ではなぜ、あたかも被害者に何らかの落ち度があるような言説が飛び交うのでしょうか? その答えは私も持っていないし、答えがわかってれば誰も苦しみませんよ!
とはいえ小野ほりでいさんが、『トゥギャッチ』というサイトで書いていた『どうして痴漢された話は「自慢話」になるの?』という記事に、ヒントがありそうです。それは「ストレスの隔離」というものだそうです。
詳しくは記事を読むことをオススメしますが、要約すると「誰かが酷い目に遭い、苦しんでいるのを見て「許せない、ひどい」と思ったはいいけれど、被害者に共感するのはしんどい。共感すると心理的に負担がかかる対象から距離を取るために、あえてそれを批判する側に回る。そして憎むべき相手はインターネット上にはいないので、代理として唯一の登場人物である問題提起者に悪意が向く、というのことも考えられる」のだとか。
ああ、なんかわかる気がする! あとは「何の落ち度もないのに襲われてしまい、理不尽な目に遭うことがある」現実を認めてしまうと、女性に限らず全ての人が、なんらかの被害者になる可能性があることを、認めざるを得なくなります。それも生きていくうえではしんどいことなので、「被害者には何らかの落ち度があった」とみなし、「自分はきちんとしているから大丈夫、被害者にはならない」と思って被害者と自分を切り分けることで、その恐怖から逃れようとするのかもしれません。
決して被害者が悪いのではなく、単に自分がラクになりたいから相手を責める。それだけのことのようですが、なんだか、非常によろしくない傾向ですね……。いずれにせよどの事件も、被害者の1日も早い回復とご冥福を祈るばかりです。
ちなみに沖縄の事件について、5月21日の沖縄タイムス紙上に「被害者女性の母親が、彼女が「落とした魂」を探して恩納村の遺体発見現場などを回り、手を合わせた」という記述がありました。沖縄では事故などに遭うと「マブイ」(魂のこと)が落ちてしまい、これを家族などが拾いにいくしきたりがあります。亡くなった場合だけではなく、不慮の事態に遭遇してもマブイは落ちることがあるので、県民にとっては馴染み深いことですが、県外ではこのような習慣はほとんどありません。なので新聞に「落とした魂」の記述があることに、私はちょっと驚いてしまいました。と同時に、「県民以外にはわからないだろうから」と勝手に忖度して、平坦な表現に落ち着く愚をおかさない、沖縄の新聞の底力を感じました。
沖縄の報道姿勢に少しだけ救われた気持ちになりながら、今回はこのへんで失礼いたします。